【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録】強豪・智弁和歌山の主将として2006年夏の甲子園大会準々決勝で帝京(東東京)と「甲子園史上最も壮絶な試合」を演じ、2018年春には部長としてセンバツ準Vへ導いたのが、古宮克人氏(34)だ。退職後は他校からの監督オファーがありながらも野球教室を開校。小中学生に自身の経験を生かした指導を行っている。甲子園通算68勝の名将・高嶋仁監督から学んだこと、忘れられない2度のミラクル勝利とは…。

「魔物が二度笑った試合」として、今でも語り継がれるのが2006年夏の甲子園大会準々決勝「智弁和歌山 vs 帝京」だ。両軍合わせて29安打の乱打戦は、智弁和歌山が7回まで8―2でリードしながらも8回に2点、9回に一挙8点を奪われ、8―12と試合をひっくり返された。しかし、その裏に執念の追い上げを見せ、13―12と劇的な逆転サヨナラ勝利を収めた。最後にサヨナラの押し出し四球を選んだ古宮氏は「人間と人間の感情がそのまま点数に表れたというか。未熟な高校生同士が死力を尽くして頑張った流れであのようなゲームになったと思います」と球史に残る一戦を振り返る。

サヨナラ勝ちに沸く智弁和歌山ナイン(2006年8月16日)
サヨナラ勝ちに沸く智弁和歌山ナイン(2006年8月16日)

 卒業後は立命館大学に進学し、4年生では主将を務めた。プロを目指すため必死に練習に取り組んだが思うような成績を残せず、一度は野球から離れることを考えた。

「自分の存在価値がわからなくなって、どれだけ努力しても理想との距離が縮まらなくて、鬱状態になってしまいました。もう大学で野球は終わりにしようと思っていました」

 それでも〝母校に恩返しをしたい〟との思いを胸に、大学卒業後は智弁和歌山で保健体育科の教鞭をとりながら野球部の指導者の道に進むことを決意。当時の高嶋仁監督の下で腕を磨いた。16年の秋シーズンには3度のコールド負けを喫するなど、チーム状況が苦しい時期もあったが、自ら練習方法の改善を高嶋監督に求めたところ、すぐに理解を示してくれた。

「これが日本一の監督の器なんだと思いました」

 部長を務めた18年のセンバツ大会で準優勝。印象に残っているのが、創成館(長崎)との準々決勝と、東海大相模(神奈川)との準決勝だ。創成館戦では2点ビハインドで迎えた9回に同点に追いつき、再び勝ち越された延長10回、二死一、二塁から黒川史陽(現・楽天)の2点適時二塁打で11―10と逆転サヨナラ勝ち。東海大相模戦では、6―10で迎えた8回に林晃汰(現・広島)と黒川の2点適時打で同点とし、延長10回に冨田泰生の中犠飛と黒川の適時打で12―10と2試合連続で逆転勝利を収めた。

 絶体絶命のピンチからのミラクルにも「こういう試合展開になるのは予想できていましたし、終盤のビハインドから逆転するために、ピッチャー有利でも、バッター有利でもアウトにならないということに徹する練習をしてきていたので、この逆転劇はたまたま起きたわけではないと思っています」と必然だったと確信している。

「高嶋監督は結構思いつきで采配することもあって、準備していないのにいきなり選手に〝行くぞ〟って言ったりして…。いつも先を考えながら動いていました。指導者になってからは一度も叱られたこともないですし、指示されたこともなかったんです。最後は俺が責任を取るから、好きにやってくださいみたいな感じでした。本当にありがたかったですし、最高の経験でした」と感謝の言葉を並べた。

これまでの野球人生を振り返った古宮克人氏
これまでの野球人生を振り返った古宮克人氏

 同大会で母校への恩返しがひと区切りしたと感じ、2020年3月をもって退職することを決めた。選手、指導者として計12回甲子園に出場し、名将から学んだことは人生の財産となった。退職後は他校から野球部監督のオファーもあったが、ジュニア期の野球指導に課題があると感じ、和歌山にベースボール型スクール「BASEBALIFE WAKAYAMA」を開校。活動を広めるためにユーチューブチャンネルも開設した。

 スクール立ち上げの際は不安もあったが、高校時代に高い目標を課され、必死に食らいついた経験から「監督には当たり前にできることの基準を強制的に引き上げてもらいました。だから普通は苦労したり、大変だと思うことも、そう感じないのかもしれません」と恩師の教えを生かして前に踏み出したという。

 生徒や保護者に寄りそう指導が地元で話題となり、現在は小学3年生から中学3年生まで約80人が集まるスクールとなった。「これからも少年野球の課題や不満をヒアリングしながら、スクールでは野球を楽しんでもらって、その上で成長をプレゼントしていきたいです」と地元に恩返しをしていく。

 ☆ふるみや・かつひと 1989年3月1日、大阪府泉南市生まれ。智弁和歌山では外野手として1年夏からベンチ入り。2年夏と3年春夏の3度甲子園に出場した。主将として出場した3年夏にはベスト4に進出。立命大野球部でも主将を務めた。2011年からは母校の保健体育の教員、野球部の部長、コーチを務め、2020年3月退職。現在はベースボール型スクール「BASEBALIFE WAKAYAMA」の代表として野球指導に携わりながら、野球ユーチューバーとしても活動している。