【気になるあの人を追跡調査!野球探偵の備忘録】2012年、藤浪晋太郎(阪神)を擁する大阪桐蔭は、圧倒的な力を見せつけて史上7校目の春夏連覇を成し遂げた。最強打線の4番を務めたのが、田端良基氏(28)だ。選抜大会の花巻東(岩手)との初戦では藤浪と並んで注目を集めた大谷翔平(エンゼルス)から左翼に本塁打を放つなど、春夏合わせて3本塁打の活躍を見せた。現在はオーダースーツ業とユーチューバーとして活躍する田端氏だが、大阪桐蔭卒業後は平坦な道乗りではなかった。栄光のあとに味わった挫折…。心の支えとなったのが、恩師・西谷浩一監督(52)の教えだった。
藤浪VS大谷の“剛球対決”となった花巻東とのセンバツ初戦は、3―2のリードで迎えた7回、二死三塁で打席に立つと、大谷の高めに抜けたスライダーを振り抜き、高々と左翼席に運んだ。主砲の一撃で大阪桐蔭は大谷を粉砕し、頂点まで駆け上がった。「打席を通して変化球が多かった。ホームランしか狙ってなかった。当たりは完璧。藤浪が大谷選手から本塁打を打たれていたのでこっちも誰かが打ちたいと思っていたし、勢いづけられたと思う」と振り返る。
ところが、本塁打した次の打席で右手に死球を受けて骨折が判明。やむなくベンチを外れ、チームの歓喜をスタンドから見守った。センバツを制して力をつけたチームは春夏連覇の偉業を達成。田端氏は夏の甲子園でも2本塁打を放つパワーを見せつけ「おかわり2世」とドラフト候補にも挙げられる存在となった。
秋にU18日本代表で大谷と再会した際、すぐにセンバツの死球を謝罪してくれたという。チームメートとして接する中で「所作を見て高校生レベルではないと感じた。人間的な部分、練習熱心さ、体のケア…高校生レベルじゃないなと思った」と意識の高さに舌を巻き、一方で「朝の散歩とかではおちゃらけた感じで話しやすかったし、グラウンドを離れたら普通の高校生でしたね」。
プロへの道を夢見た田端氏だが、その後にスカウトの自分への評価が思いのほか低い現実を知り、プロ志望届の提出を断念。学費免除の亜細亜大に進学して野球部の練習に合流するも、わずか3日で退学した。「結果を出す自信がなかった。あまり大学野球に興味もなかったし、高校時代が自分の結果の最高点だと思い、やる気が起こらなかった。高校からプロへ行きたかったんです…」。燃え尽きた野球への思いにもう一度、火をつけることはできなかった。
もやもやを抱えながら大阪に戻って建設作業員、工場などで働き、その間も京都の日本新薬野球部の練習に参加。21歳の時に福岡の日本ウェルネススポーツ専門学校北九州校に学費免除で入学し、2年間野球部に所属した。卒業後、大阪に戻って同級生とミナミにバーを開店。同時にオーダースーツの仕事にも誘われ、本腰を入れ始める。野球に区切りをつけ、心が徐々に晴れていった。
「最初は注文が取れなくて全然でしたけど、桐蔭の先輩たちが声を掛けてくれるようになった。スポーツ選手の体形って太ももとか、どの部分が大きいとか、着こなしが難しいと思うんです。サイズで困っている人は多い。そこをターゲットにしようと思った。コロナでバーは閉店したけど、スーツが忙しくなってきた」
野球を中心に人脈が広がり、半年ほどで軌道に乗り、5年目を迎えた。オリックス・吉田正尚にもスーツを仕立て「吉田選手も僕のことを知ってくれていた。なんで野球やめたん?みたいな会話からスタートして家に呼んでもらいました」と感謝を口にする。さらに大阪桐蔭の巨漢の恩師・西谷監督にも「いつかスーツを作ってあげられたらいいですね」といたずらっぽく笑った。
社会に出ても西谷監督の教えを忘れることはない。「うまくいかない時こそ、一番うまくなる時」との言葉だ。「最初からうまくいく人はいない。うまくいかない時がうまくなれる時間ということなんです。野球の試合中でもピンチの時が成長できるチャンスだと言われていました。社会に出ても同じ。僕みたいに後ろ盾のない人間には重要な言葉だと思います」
そして田端氏はスーツ業を営みながら次なる挑戦、ユーチューブの世界に足を踏み入れる――。(後編に続く)
【プレイバック】2012年の大阪桐蔭は藤浪と森友哉(西武)の最強バッテリーと猛打で史上7校目の春夏連覇を達成した。選抜大会の初戦では花巻東・大谷を攻略して9―2と好スタート。九州学院、浦和学院、健大高崎と退け、決勝では光星学院(青森)を7―3で下してセンバツ初優勝を果たした。藤浪は150キロを超す剛速球で大会を席巻し、全試合に完投した。夏は木更津総合、済々黌、天理、明徳義塾を下して決勝進出。光星学院とのセンバツと同カード対決を3―0で制し、3度目の夏制覇を果たした。藤浪は決勝で14奪三振の圧巻投球を見せ、準決勝、決勝ともに2安打に抑え連続完封の離れ業をやってのけた。大阪桐蔭は秋の岐阜国体でも優勝し、「高校3冠」を達成している。
☆たばた・よしき 1994年6月27日、和歌山市出身。大阪桐蔭で4番を務め、3年時の2012年に藤浪、森らと春夏連覇を達成。花巻東・大谷から甲子園で本塁打を放った唯一の打者。卒業後は亜細亜大学に進学するも3日で中退。日本ウェルネススポーツ専門学校(北九州)野球部にも所属した。野球での人脈を生かしてオーダーメードスーツの仕事を始め、20年には弟・拓海氏とユーチューブチャンネル「田端ブラザーズ」を開設。“大阪桐蔭の“裏ネタ”などを楽しく発信し、登録者数2万人を超えている。












