【気になるアノ人を追跡調査!野球探偵の備忘録(61)】神宮大会枠を持ち帰った明徳義塾の奮闘もあり、今春センバツ(23日開幕)で3年連続となる同一県2校出場が決まった高知高。積年のライバルに助けられた格好だが、両校の“因縁”は今から13年前にも存在した。2005年、明徳義塾の不祥事により甲子園史上前代未聞の“繰り上げ出場”となった高知高のひと夏のドタバタ劇と、世間を騒がせた“幻の右翼手騒動”の真相を、指揮官・島田達二監督をはじめ当時の選手ら関係者が明かした。

「あのときほど人のありがたみを感じたことはない。不安だったんですよ、正直なところ。本当に自分たちが行ってもいいのかと。開会式で入場した瞬間の割れんばかりの拍手は忘れられません。甲子園の大観衆に『よく来てくれた』と言ってもらえた」

 その年の冬に母校・高知高校の監督に就任したばかりの島田は、そう言って昔を懐かしむ。2005年夏の高知大会決勝、高知高は確かに一度敗れた。厳しい練習から解放され、思い思いに夏休みを謳歌していたナインの状況が変わったのは、甲子園開幕も間近に迫った8月4日。代表校だった明徳義塾に不祥事が発覚し、高知高に逆転出場の芽が生まれたのだ。当時の二塁手・山本幸征が言う。

「寮から遠く離れた実家に帰省していたときでした。チームメートから電話がかかってきて『おい、テレビ見てみろ! 甲子園に出れっかもしれんがや』と。『何バカなこと言ってんだ』と思いながらテレビをつけたら、ちょうど(明徳義塾監督の)馬淵さんが謝罪会見をしてるところで。代理出場なんて聞いたことない、親の車で学校に向かう道中も半信半疑でしたね」

 開幕は2日後の8月6日。寮生の多くは車で2~3時間もかかる自宅に帰省していた。急きょ集合がかかったナインの様子を、4番を打っていた勝賀瀬拓志が振り返る。

「とにかくグラウンドに立っていい状態じゃなかった。みんな眉を剃ったり、髪を伸ばしたり。染めてるやつもいましたから。このままじゃウチらまでやり玉に挙げられると、急いでバリカンと黒染めを買ってきて、何とか球児らしく取り繕いましたよ(笑い)」

 現在の勝賀瀬は同校コーチとして、選手に厳しいゲキを飛ばす立場だ。

 大慌てで準備を整え、甲子園に向かった高知高だが、ここに来てさらなる騒動が舞い込む。ネットを中心に、こんなニュースが拡散されたのだ。

「高知大会決勝で右翼手として出場した上田勝選手(3年)が、家族に『自転車で日本一周してくる』と言い残し、家を出たまま連絡がとれない」

 本紙をはじめ大手メディアもこのニュースを取り上げた。だが、当時の高知高に上田勝という選手は在籍しておらず、実はまったくのデマ。なんともユニークな“上田くん騒動”を、前出の山本が笑いながら振り返る。

「ありましたね~、そんな話。あのときは自粛ムードというか、素直に喜んじゃいけないような雰囲気があった。当時の新聞を見ても、誰も笑顔で写ってないんですよ。上田くんなんて選手はいなかったけど、あの話題はそういう空気を吹き飛ばしてくれました。デマを流したのが誰かは知りませんが、おもしろいネタを作ってくれたなと」

 幾多の混乱を乗り越え、甲子園に到着した高知高は初戦で関東の雄・日大三に完敗。予期せぬ形で監督として初めての大舞台を経験した島田だが、あのときの経験が今の糧だという。

「抽選会のときには『(明徳が)よりによって日大三と当たってるよ! これで馬淵さんの初戦連続勝利もストップや』とか笑ってたら、いやいや俺んとこにくんのかい!って(笑い)。一発目が強烈すぎて。あれを経験したら、もう怖いもんはないです」

 就任14年目のこの春、監督として春夏通算9回目の甲子園に出場する。

 こんな後日談もある。千葉の大学に進んだ山本は、練習試合で明徳義塾の選手と再会。高校時代はなれ合うことのないライバル同士だったが、そこで意気投合したという。

「向こうから話しかけてくれて。不思議なもんで、何のわだかまりもなく仲良くなれた。逆転出場の話? それはお互いにしづらかったですけどね(笑い)」

 今春センバツは秋季大会の結果から出場が不安視されたなかで、まさかの選出。逆転出場となった状況はあの夏と似る。後輩ナインへ、山本はこうエールを送る。

「ちゃんと準備できる期間があるっていうのはうらやましいですね。僕らみたいにドキドキハラハラすることなく、試合に臨める。明徳さんには悪いけど、僕ら仲間内では『棚ボタ世代』って言ってるんです(笑い)。本当に、短くて濃い夏でした」

 前代未聞の逆転出場に始まり“幻の上田くん”と駆け抜けた夏から13年。宿敵・明徳義塾と揃い踏みとなった甲子園で、今年はどんなドラマが待っているのか。=敬称略=

【明徳義塾「喫煙・暴力」で出場辞退】高知代表として出場予定だった明徳義塾は開幕2日前の2005年8月4日、不祥事により出場辞退を発表した。同年4月から7月にかけ、同校の野球部員11人が野球部寮内で喫煙。さらに同年5月から7月にかけ3年生と2年生の部員6人が1年生部員に対し、暴力行為を働いていたという。同校は高野連に報告しておらず、匿名の情報提供により事実関係が発覚。同校野球部の宮岡部長、馬淵監督が責任を取って辞任した。

【四国大会8強「逆転進出」】今春センバツは第90回の記念大会のため、例年5枠目を争う中国・四国地区が平等に3枠ずつを分け合い、さらに明徳義塾(高知)が明治神宮大会を制したため、四国にはこれに明治神宮大会枠を足した計4枠が与えられた。四国大会4強の高松商(香川)の選出が有力視されていたものの、神宮王者・明徳義塾との試合内容を評価された高知高(高知)は8強ながら“逆転選出”となった。

 島田監督は「秋の時点ではあきらめていた。私も高松商だと思ってましたし、(高松商監督の)長尾さんとも付き合いが長いから複雑な部分もある。今回は(明徳義塾監督の)馬淵さんに頭が上がりません」と話す。島内優成主将(2年)は「最初は出れないと思ってたけど、明徳が神宮枠を持って帰ってきてくれた。秋の県大会では負けたけど、そのシード権を決める試合では勝ってるので、1勝1敗。センバツでは去年の大阪対決みたいに、決勝で借りを返したい」と力強く意気込んだ。

 ☆しまだ・たつじ 1972年4月29日生まれ、高知県四万十市出身。小学校3年時に一宮エンゼルスで野球を始める。高知中では軟式野球部に所属。高知高では3年春に甲子園出場。高知大卒業後、96年に高知高の野球部長に就任。その後、高知中の監督を経て2004年冬に高知高の監督に就任する。監督としては春5回、夏4回甲子園に出場。178センチ、76キロ。右投げ右打ち。