【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(24)】1995年のリーグ優勝が決まった9月19日の西武戦(西武球場)でのことでした。

 先発投手は星野伸之さんで3点リードの6回一死、走者を塁上に残した場面で降板。ここで2番手・鈴木平の出番となりました。

 その時点で僕は49試合に登板し防御率1点台。試合前には山田久志投手コーチと相談して、50試合で1点台の方が見栄えがいいので、1イニングをメドに投げさせてもらうという確認を取っていました。

 僕は6回一死からの登板でしたから、6回を投げ切った時点か、あるいは7回までの心づもりでマウンドに向かいました。

 さて、6回はアウト2つを取って無失点です。そして、ベンチに戻って山田コーチの方を見てるんですけど「もうちょっと、もうちょっと」みたいな顔をしているんですね。

 よし、じゃあ7回もしっかり抑えてやろうと続投です。ここでもしっかりゼロに抑えてベンチに戻りました。そして山田さんの方を見ると、何だかリアクションがおかしいじゃありませんか。さらに「もうちょっと」な動きをしています。

 結局、僕は2回2/3を投げたんですよ。今ではなかなか考えられないことなんですけどね。この時にはチームにも裏事情がありました。

 この試合から直近3試合くらいは、守護神だった平井正史がかなり不調だったというのも影響したと思うんです。場面としては6点リードの9回というほぼ安全圏で、僕から3番手・平井につなぐことになりました。15勝27セーブとフル回転してくれた平井がオリックスのリーグ優勝を決めるという結末にはなったのですが、裏ではいろんなドラマがあったんです。

 僕としては1イニングの約束でしたから、試合後には山田さんが気を使って僕を呼び出してねぎらってくれました。「平、悪かったな。明日、お前はもうグラウンドに来なくていいから」。実際、僕はリーグ優勝翌日のグラウンドには立っていません。ベンチ入りのメンバー表の名前のところには「○」が記載されているんですが、僕は球場にはいませんでした。
 シーズン中にもこういうケースはよくありました。登録抹消するわけではなく、ベンチを外れるという形です。疲労を考慮して登板回避と決めていても、実際にベンチ入りしていると仰木監督は「いるじゃないか」となって起用しちゃう人なんですよ。だから、本当に帰らせてしまわないと肩を休められないわけです。

 仰木監督は現役時代に“鉄腕”稲尾和久さんを見ていた世代ですからねえ。それくらい投げても何ともないじゃんという感覚だったんでしょうけどね。ただ、さらにピッチャーを実際に帰してしまうという投手コーチも面白いじゃないですか。まさに何でもありの球団でしたね。

 95年の日本シリーズではヤクルト相手に1勝4敗で苦杯をなめる結果になりました。秋季キャンプにも呼ばれ、やっぱり練習しとかなきゃダメなんだなと思っていると、仰木監督から「ウオーミングアップだけしたら帰れ」との指示。それから30万円ポンと渡されて「ゴルフでもしてこい」とそういう調子なんです。神戸にいると取材や会食などで疲れるということで、あえて宮古島で休ませてくれたんですね。本当に仰木監督はカッコいい人でした。