【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(1)】「野村ID野球」でハマらなかったピースが「仰木マジック」では、どハマり。「花の咲きどき」に大輪の花を咲かせた横手投げ右腕が鈴木平氏(53)だ。1995、96年のオリックスリーグ連覇に救援投手として貢献。96年は守護神としてチームを日本一に導いた。苦労を知り、遅咲きながら一気に開花した数奇な野球人生を、同氏に語ってもらった。
とにかく、今思えば運が良かったんですよね。やはり、今でも「自分の野球人生の中での一番の思い出は何ですか?」と聞かれれば「1996年の日本一ですね」と答えます。チームのクローザーとしての役割をいただいて、しかも日本シリーズで胴上げ投手という栄誉に恵まれたわけですから。
96年は僕が26歳になる年でした。まだまだ若いはずなんですが、その年齢にしても、日本シリーズというものはこんなに疲れるのかって思いましたね。前年の95年にすでに日本シリーズを経験してはいました。日本シリーズという舞台がいかに疲れるのかって分かっていたのに、本当に疲れたなと思ったことを覚えています。このシリーズの話はまた改めて詳しく書かせていただきますね。
ものすごい勢いでオリックスが駆け抜けた印象があるかもしれませんが、やはり優勝というのは簡単ではありません。96年は夏ごろに自分自身が一番最後を任せられる形になって、クローザーとして試合を締めないといけない立場になりました。当時は95年に起きた「阪神・淡路大震災」の復興ということも社会的なテーマでしたから、ぜひ地元の神戸で優勝ってことをマスコミがものすごくあおっていたんですよ。
95年は地元で胴上げのチャンスが4度もありながらまさかの4連敗を喫してしまっていたんですね。過去の苦い経験を経ての96年でした。そして、実際に神戸で胴上げができたのは9月23日の日本ハム戦でした。
結末は同点の延長10回、無死一塁からイチローの左翼線への適時二塁打で劇的サヨナラ勝利です。イチローが二塁ベースを回って、一塁走者の大島公一さんがホームインするのを見て何度も跳び上がってガッツポーズするあの場面。覚えているファンの方々も多いと思うんです。
でも、実は僕はその試合では打たれちゃってるんです。登板したのは2点リードの8回二死満塁の場面でした。ここで日本ハムの4番・田中幸雄さんに左中間を破られる走者一掃のタイムリー三塁打を浴びています。これで逆転される展開となり1点ビハインドです。
「うわっちゃー、やってもうた。えらいことやってしもた。本当に申し訳ない」
そんな気持ちでベンチから見守ることしかできませんでした。選手もチームの雰囲気的にもそんなに僕に対してプレッシャーがかかっていたかというとそうではなく、普通に投げていたつもりでした。でも、自分の中で勝手にすごいプレッシャーを感じていたんだなっていうことは、そこから後になって感じましたね。
でも、あのころのオリックスは信じられないことが何度も起きるチームでした。9回二死無走者からD・J(ダグ・ジェニングス)が右翼へ同点ソロ。そこから10回のサヨナラへとつながっていきました。
6000人以上の方々が、かの震災で命を落としました。その中には僕たちを応援してくれていたファンの方々もいらしたはずです。神戸の方々は復興を目指し、困難に立ち向かっていた中でも、われわれに声援を送り後押ししてくれました。あの2年間は不思議な力に背中を押され、勝たせてもらえた。間違いなくそうだったと今でも信じています。












