【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(19)】関根監督に2年、野村監督に5年の計7シーズンお世話になったヤクルトから、オリックス・ブルーウェーブにトレードで移籍することが決まりました。1994年オフのことでした。
球団から発表されてすぐに神戸に移動し、入団会見が終わるとそのまま秋季練習に合流。慌ただしかったので、当時の自分が誰とどんな練習をしていたかなど、今は覚えてません。
その後は東京に戻って12月のうちに荷物を段ボールにまとめて、95年1月16日に神戸の青濤館という寮に到着するよう段取りを整えていました。
というのも1月17日には神戸から沖縄・宮古島に飛行機移動して、合同自主トレを行う予定だったからです。ということはすなわちです。僕は神戸に来て初めて寝たその朝に阪神・淡路大震災を経験しているんです。
何が何だかわかりませんでしたね。神戸に着いてすぐ地震です。荷物だって解いてませんでしたからね。
テレビがガタガタ揺れて、あと段ボールも揺れてという状態です。真っ暗闇の中で。窓を開けると土煙が立っているような状態でした。
僕は土地勘もありませんし、クルマも何も持ってきてませんから何もできない状態でした。同学年の左腕・清原雄二が「コンビニ行くけど行く?」と誘ってくれて買い物したり、助けてもらったのは覚えています。
しかし、これ、どうするの? そういう気持ちが心の大部分を占めていて、とりあえず練習だけはしていたという感じでしたね。
だから仰木監督にもあいさつできてないというか、会うこともなく、どちらかというと「みんな無事か」という確認で球団の方々は大変だったと思います。
オリックスというチームでは新人でしたから、みんなの後ろをついていくしかなかったですし、震災の混乱でどうすればいいかも不安だらけでした。
1月31日には飛行機移動し、2月1日のキャンプインに備えて何とか宮古島にたどりつきました。
最初は二軍の宿舎に配分され、練習は一軍の方に合流。このタイミングでも雰囲気は混沌としていて、新入団選手の鈴木平が誰でとかいう場合ではなかったと思います。
なので、今思えばですよ。あの95年によく優勝なんてできたもんだなと思うんです。
僕がオリックスに移籍して仰木監督にも中西ヘッドにも山田、山口両投手コーチにも、最初に言われたことは同じです。
「大胆に投げればいい。ボールに勢いがあるんだからいいんだよ。細かいコントロールはいいから。真っすぐに勢いがあるんだからいけよ」
けど、そんなわけはないわなと思っちゃう自分がいるんですよ。だってね5年間、野村ID野球の世界にどっぷりハマっていたわけです。
「その配球の裏付けは何だ? 根拠は何だ?」っていう野球をやってきたわけですから。それがいきなり「大胆にいけばええ。バーンといけよ」と言われても「違うんじゃねーのか。本当にいいのか」って思っちゃいますよね。こんな様子でオリックス・鈴木平の1年目はスタートしました。












