【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(16)】ヤクルト時代に本当によくしてもらった1987年ドラフト同期の長嶋一茂さん。先週の当欄でもエピソードを語らせてもらいましたが、まだ継続させていただきます。

 ヤクルト時代の7年間、いい時もつらい時もありました。特につらかった3年目以降は、一茂さんと過ごした時間が本当に癒やしになりました。

 ある日、2人ともファームにいた時です。一茂さんが外食に誘ってくれました。当時の一茂さんの年俸は1000万円に達していなかったと思います。それでも移動はなぜか2000万円ほどはするであろうポルシェでした。

「こんな大金はどこから出てくるんだろうか」などと思いつつ、ポルシェの助手席に乗り込むと、クルマはヤクルトの寮がある埼玉県戸田市から同県新座市の方に進みます。

 到着したのは東武東上線の志木駅近くのお好み焼き屋さんでした。このエリアには一茂さんの出身校・立教大学の野球部の寮があるんですね。学生時代からの行きつけのお店に連れていってくれたわけです。

 いつも、ぜいたくな生活を謳歌しているように見えていた一茂さんからすれば、本当に質素なお店です。とんぺい焼きが500円みたいな普通のお好み焼き屋さんでした。少し拍子抜けしましたが、おかみさんとのやりとりを聞いていると学生時代からのなじみであることは十分に伝わってきました。

 おなかいっぱい食べさせていただいて、さてお会計です。自分の頭の中ではだいたい1万円くらいかなと想像していました。ところが、一茂さんはポンと20万円置いていくんです。

 おかみさんもびっくりするわけではなく普通にしています。さすがに気になってどういう事情か聞いてみました。すると、野球部の後輩たちが食事に来た時の軍資金になるとのことでした。

 さらに、おかみさんいわく「一茂さんが在学中のころは長嶋夫人がいらして、いつも50万円置いていっては『選手たちに食べさせてあげてください』とおっしゃっていました」とのこと。

 これは桁が違うなと思い知らされました。かといって、一茂さんは自然体なんです。もちろんその背景にはお父さんである長嶋茂雄さんの存在があることは間違いありません。でも、一茂さんが偉ぶることはもちろん、一切ありませんでした。いつも通りお願いしますねって感じです。

 僕としては20歳そこそこの時代に、日本のトップに君臨するような人気者のおカネの使い方を体感した気持ちでした。

 その後、巨人の監督に長嶋茂雄さんが就任するという話になった92年オフのころです。田園調布の実家に巨人の監督とヤクルトの選手が一緒に住んでいるわけにはいかないということで、一人暮らしをすることになったと一茂さんが言い出しました。

 それでいろんな物件情報を僕のところに持ってきました。この引っ越しも僕たちの感覚からすれば浮世離れしすぎていて、驚きの連続でした。