【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(13)】 1987年ドラフト同期の1位指名はあのミスタープロ野球・長嶋茂雄さんの長男・一茂さんでした。そもそも有名人でしたが、その天真らんまんさはやはり超ド級でした。

 当時のヤクルトは米国・アリゾナ州のユマで春季キャンプを行っていました。日本に帰国する前にはロサンゼルスを経由し1泊するのですが、そこでの買い物道楽ぶりにも目を見張りました。

 まず、ロデオドライブのルイ・ヴィトンで高級バッグを持ちきれないほどに爆買いしたかと思うと、品物を「後で取りに来るから、ちょっと預かっといて」と、今度はティファニーにハシゴです。

 すると、ショーケースを指さしながら「ここからここまでください」って、あんなの目撃したのは最初で最後ですよ。焼き鳥屋さんで串を注文するわけじゃないんですからねえ。「ここからここまで5本ずつ」って。

 それだけじゃ終わりませんからね。今度はロスから成田への機内でも豪快伝説は止まりません。現地で使い切れなかった現金を1000ドル以上、持っていたみたいで「平さあ、これどうしたらいいかなあ」と聞くわけですよ。

「どうしたもこうしたも成田に戻ってから換金すればいいじゃないですか」と思っていましたし、普通に実際はそうしますよね。

 当時はバブル絶頂ではなかったですが、1ドルが138円くらいのレートでした。1000ドルを少し超えるくらいであれば15万円ほどにはなります。これは大金ですよ。

 そうすると一茂さんは「うーん、面倒くさいなあ」とか言いながら、機内販売で「これ全部でイヤリングを買えるだけ買います」とお買い上げです。

 そんなのどうするんですか!と思っていると「俺はいろいろと配らなきゃいけないんだよ」とニコニコしています。

 とにかく長嶋一茂さんには、バブルの遊び方というものを教えてもらいました。当時はバブル最終期くらいだったんですよね。世間に目を向けても野球選手の周りには「タニマチ」の方々も多く存在していました。そんな中でもカズちゃんは飛び抜けていましたね。

 あるオフには突然「ゴルフ行くぞ」と誘われて「はい、どこ行くんですか? でも、僕らクルマも持っていないですよ」と話すと「いいよ、お前ら待ってろ」と言われ、素直に待っているとハイヤーが迎えにきたんですよ。僕と1つ下の後輩・松岡大吾はまだ19、20歳の若造ですよ。びっくりですよ。

 すると一茂さんは当然のように「行くぞ。乗れよ」と案内してくれて。そうするうちに千葉県の何とかという高そうなゴルフ場に到着です。そしてプレーを終えると、またハイヤーがゴルフ場で待っているわけですよ。

 そのまま帰りは「西麻布に行くぞ」って言われて、フグをごちそうになるんですが、店にはせんだみつおさんがいるんですよ。「あ、『ナハナハ』の人だ。すげェ」ってなったのを覚えています。こんな話ばかりしてていいのかなと思いますが、一茂さんの伝説は続きます。