【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(12)】ヤクルト在籍の7年間のうち、3年目の1990年から94年までは、野球選手としてつらい時代が続きました。ただ、いつもいつもつらかったわけではありません。
 ドラフト同期の“超大物”のおかげもあり、楽しい思いも本当にたくさん、させていただきました。年上ですが親しみを込めて「カズちゃん」と呼ばせてもらっていました。

 87年のドラフトでヤクルトと大洋ホエールズに1位指名を受け、抽選の末にヤクルトに入団。立教大時代から注目され、鳴り物入りでプロ入りしてきた長嶋一茂さんです。

 今、テレビで見ない日がないくらいブレークしていますよね。本当にテレビの中で見る、ちょっと天然な感じのままの楽しくていい人なんです。

 当時は一茂さんの1つ年下にあたる、柳田浩一さん(現在はNPB審判員で昌夫に改名)にも食事に連れていってもらったり、すごくかわいがってもらいました。時代もバブル後期でしたから、いわゆるタニマチと言われる方々にもごちそうになったりもしましたね。

 僕から見て1年後輩の松岡大吾とも本当に仲良しでした。名前から分かる方もいるかと思いますが、ヤクルトのレジェンド・松岡弘さんのおいっ子で、期待された投手でした。一茂さんを筆頭に柳田さん、大吾といったメンバーでよく街に繰り出したものです。

 当時、ヤクルトは米国・アリゾナ州のユマで春季キャンプを行っていました。僕や大吾はまだ若手ですから、ほぼ打撃投手のような立場でキャンプに参加していた状態でした。
 当時の一茂さんの注目度たるやすごくて、フリー打撃で柵越えを打ったりなんかすると、それだけで「長嶋ジュニア第1号」とかってスポーツ紙1面に見出しが躍るくらいでした。

 現地では僕と柳田さんが同じ部屋で、その部屋に5人くらい集まってトランプゲームなどに興じました。一茂さんはポーカー強かったですよ。

 で、ゲームが落ち着くと必ずデリバリーのピザを注文するんですよ。で、僕なんかが「ええっ、英語で電話なんてできないっすよ」と言うと、一茂さんが「バカだな俺は大卒だぞ。任せとけ。英語くらいできるよ」って電話してくれるんです。

 無事にピザが部屋に届くんですが、お会計が大体、いつも22ドルくらいでしたかね。そうすると一茂さんが30ドルを渡して「Keep the change。お前ら聞いたか。こうやって言うんだよ。おつりは取っといてって意味だよ」と得意げに言うんです。

 キャンプの休みになると大型ドラッグストアのシアーズに一茂さんご一行で出かけて、帰りにフードコートの中華レストランで食事するのがお決まりのコースでしたね。

 帰国する前にはアリゾナからロサンゼルスに移動して1泊するんですが、そこでの一茂さんの行動には目が点になりました。「お前、一緒に行くぞ」って買い物に同行するのですが、僕らは当時そんなにおカネも持っていないし、本当についていくだけなんですけどね。

 まあ、すごかったですよ。ロデオドライブに行って最初に入ったのがルイ・ヴィトンだったと思います。そうするともう、持ちきれないくらいバッグを買うわけですよ。そして「後で取りに来るから」とさっそうと立ち去る。カズちゃんのエピソードは話し出すと尽きることがありません。まだまだ続きますからね。