【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(6)】プロ1年目の1988年は一軍登板ゼロ。ただ、関根潤三監督や小谷正勝投手コーチに「平(へい)ちゃん」と呼ばれかわいがってもらい、なぜか一軍に呼ばれチームに帯同させてもらいました。
その時の甲子園での光景は今でも忘れられないですね。10月10日の阪神―ヤクルト戦です。この当時はまだダブルヘッダーがあって、その2試合目がミスタータイガース・掛布雅之さんの引退試合でした。
1試合目と2試合目の間隔が20~30分しかなかったと記憶しています。僕は1年目のペーペーですから雑用係です。「ちょっとブルペンのキャッチャーにおにぎりを持ってってやってくれるか」とお使いをすることも仕事でした。
甲子園は当時、左中間と右中間に金網で仕切られたラッキーゾーンがありました。そこにブルペンがあって、スタンドとの距離感もすごく近かったように覚えています。
関西のファンの方々は独特で「お兄ちゃん、アメちゃん食べとき」と言われ、スタンドからアメをいただいたこともありました。
そうかと思えば、展開によってはそのアメがスタンドから大量に降ってくることもあるんです。マウンドに散らばったアメを片付けるのも僕の仕事でした。
それにしてもスタンド全体が黄色一色で「すごいなあ、これは」と思ったのは忘れられないですね。ゲームでは1試合も投げていないのに、いい経験になりました。
そういった経験を経て2年目を迎えることになりました。元々、僕はスリークオーター気味のオーバーハンドから投げていました。高校の時からそういうフォームでした。
ただ、当時のヤクルトは右の上手投げ投手が多かったんです。ベテランの尾花高夫さんや高野光さん、荒木大輔さん、ギャオスこと内藤尚行さんなどなど。そのあとも西村龍次さん、岡林洋一さん、伊藤智仁、川崎憲次郎とドラフトで右上手の有力投手が入団しました。
このままでは勝負にならないぞ。そう思った僕は腕を下げ、横手投げのフォームに取り組みました。当時はまだ1番・センターのレギュラーになる前の捕手・飯田哲也さんがファームで僕のボールを受けてくれていました。
そこからイースタン・リーグの試合でポン、ポンと抑えてしまって、すぐに一軍にあげてもらっちゃったんです。89年8月12日の広島戦で2―6の7回から投げたのがプロ初登板。そこから5日後、17日の阪神戦でプロ初先発のチャンスをもらえることになりました。
当時のヤクルトは投手陣にケガ人が多かったんです。高野さん、荒木さんも故障離脱されていたはずです。チームとしては先発要員がいないという状況で僕が抜てきされました。
後の本拠地になる神戸総合運動公園野球場(グリーンスタジアム神戸の前身)のマウンドがプロ初先発の舞台でした。夏の高校野球の期間中は甲子園が使用できないですからね。
何の前触れもなく練習中に呼ばれ「今日、ヘイちゃん先発ね」ってそのまま一軍初先発ですよ。それで5回を投げて1失点でプロ初勝利を挙げてしまいました。
2年目、プロ2試合目の登板で先発初勝利なんて経験してしまうと、少しいい気になってしまうじゃないですか。でも、それだけではなかったんです。いい流れは続くんです。












