【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(4)】自分の野球人生で最も思い出に残る場面として1996年の日本シリーズで胴上げ投手になった場面を挙げさせてもらいました。94年オフにヤクルトからオリックスに移籍して、荷物が寮に届いた翌日に阪神・淡路大震災を経験。そんな状況からキャンプ、オープン戦とアピールを続け95、96年シーズンはリリーフとして働き場所をいただくことができました。そして運よく連覇、日本一を経験することができ野球人として人生が変わりました。

 95年は50試合で2勝3セーブ、96年は55試合で7勝19セーブという成績を残せたことは実際に自信になりました。ただ、これだけ投げていて僕は実は経験していないことがあるんです。

 それは何かと申しますと「ヒーローインタビュー」なんです。たぶんですが、僕は本拠地のグリーンスタジアム神戸でお立ち台に上がってインタビューを受けた経験がありません。96年なんて勝ち試合に30試合近く貢献しているわけですよ。そう思うと珍しくないですか?

 でも逆に言ったら、それだけ認めてもらえていたのかとも考えられるかもしれないんですよね。要するにあいつが出てきたら試合の最後を抑えて仕事するのが当たり前。何も取り立ててヒーローとして称賛することはないと、認めてもらえていたんだと、いいように解釈してほしいです。

 大体、遠征の移動などでグリーンスタジアムから新幹線の新神戸駅までタクシーで移動するときなんて、ドライバーの方から声をかけられるわけですよ。「平さん、毎日、毎日、投げてますね。大丈夫ですか?」って。

 試合数なんかで言えば、今の選手の方がうんとたくさん投げていますけどね。ただ、われわれの時代はイニングまたぎなんて当たり前でしたし、球数もほぼ度外視でしたので、それはそれで過酷でした。7、8、9の3イニングを投げるリリーフ投手だって珍しいというわけでもなかった時代です。

 ヒーローインタビューを経験していないのも少し残念ですが、あれだけ投げてタイトルを取れなかったことも実は心残りですね。96年は優勝が決まったあとにも試合が結構、残っていたのでセーブ王を狙えたので、今になって後悔しています。

 V決定後に当時の山田久志投手コーチから「このままいったらセーブ王を狙えるけどどうする」と聞かれました。でも、前年の日本シリーズでヤクルトの胴上げを目の前で見て、負けた悔しさが心に残っていたので「僕はタイトルより日本一が取りたいので休みます」と回答しました。出場選手登録を抹消してもらいファームで調整し、コンディションを整えシリーズに備えたわけですが…。どうなっていたかは誰にも分かりません。

 これはこれで正しい判断だったとは思うんです。でも、今思えばあの当時のオリックスであれば、勝ちゲームがまだまだあったはず。セーブを稼いでタイトルを取れたはずなんですよね。

 結果、近鉄・赤堀元之、ロッテ・成本年秀さんとは4ポイント差でシーズン終了。取れてたでしょうね…と思ってしまいます。