【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(2)】1987年のドラフトでヤクルトから3位指名でプロ入りして、7年間をスワローズの一員として生活しました。そこからトレードでオリックスへ移籍するという形になり、これまでの人生でご縁のなかった神戸の地へ移ってくることになります。

 神戸市西区の合宿所に荷物が届いたのが95年の1月16日でした。あのイチローが若手時代を過ごした「青濤館」という寮ですね。そこから沖縄・宮古島で行う予定だった合同自主トレに参加する予定で、1月17日は6時台には出発するべく準備をしていました。

 身支度をしていると5時46分にあの大きな揺れを体験しました。いろいろとバタバタする中で土地勘もなく不安でしたね。合同自主トレは中止となって、そのまま合宿所に残ってトレーニングするという形になり、キャンプ前日に宮古島に入ることになりました。

 神戸市西区の寮は中心部からは少し離れていて、建造物などの被害も比較的甚大というほどではありませんでした。ただ、窓を開けると長田区の火災の炎が見えたり不安になりました。当時はそれがどこかも分からない状況でしたけどね。

 野球なんてやっていていいのかなというような気持ちにもなりましたね。それは当時のナイン、みんなが思っていたことだと思います。宮古島に移動しても神戸のことは頭から離れなかったですね。

 僕自身は移籍1年目で必死でアピールしなければいけない立場でした。そんな中でキャンプ、オープン戦と結果をつないで、開幕一軍の切符をつかむことができました。4月1日、迎えた開幕戦にはグリーンスタジアム神戸(現在のほっともっとフィールド神戸)に満員3万人のファンが集まってくれました。

「がんばろうKOBE」をユニホームの右袖につけて臨んだ特別なシーズンです。みんなが今年は優勝しないといけないという気持ちになりました。僕は守護神の平井正史につなぐセットアッパーという形で起用してもらうようになり、登板を重ねました。

 開幕からチームは調子が良くて6月あたりから一気に加速して、オールスター前の7月にはマジックが点灯という独走状態です。プレーしながら本当に「不思議な力」を感じていました。

 5連勝して1敗挟んでまた6連勝とか、ずっと勝っているような気持ちでした。まあ負けないんですよ。投手陣の間でも星野伸之さんや野田浩司さんと「どうなってるんでしょうね。こんなことって起きるの? おかしいでしょ」といつも話してましたよ。本当に信じられない勝ち方とかが多かったですからね。

 そういう中で自身も引っ張られ、移籍1年目の95年は50試合に登板しました。2勝4敗3セーブ、防御率1・83という成績を残すことができました。前年には一軍で2試合しか投げられていない投手だった僕が、チームの輪の中で重要な役割を担うことができました。

 そして、日本シリーズの相手は古巣のヤクルトです。絶対に打たれたくないという気持ちで臨みました。でも、結果はオリックスが1勝しかすることができずに敗退してしまいました。古巣の球団関係者から思わぬ言葉をいただいたのもずっと思い出に残っています。