【赤ペン! 赤坂英一】広島・栗林良吏投手(27)は〝危険球ショック〟を完全に払拭することができたのか。

 26日にヤクルト・青木に頭部死球を与えて退場となった栗林は、翌27日に2点リードの9回に登板。三者凡退に抑えて9セーブ目を挙げた。

 栗林は試合後「怖さはもちろんありました。ただ、監督の期待に応えたい気持ちも強かったんで」とホッとした表情。新井監督は「彼も昨日の今日なんで、いろんな気持ちがあったと思うけど(試合前に)いってもらうぞと言ってたから」と明かした。

 新井監督が栗林を翌日に登板させたのは、ショックを引きずらないようにと考えてのこと。その狙いは十分理解できる。2011年に今村猛が巨人・長野に頭部死球を与えた時、野村謙二郎監督もそのわずか2日後に投げさせた。1点リードの8回で、今村は先日の栗林と同様、打者3人でピシャリと抑えている。「危険球の件があったんで、今村はなるべく早く使いたかった。ショックを後々まで引きずらないようにするためにね」。

現役時代の今村猛氏(2011年)
現役時代の今村猛氏(2011年)

 野村監督はこう言ったが、これで今村が完全に立ち直ったわけではなかった。20日後にまた巨人・長野と対戦したらショックがぶり返したのだ。1―1の同点だった8回二死三塁。投手コーチの大野豊が今村に「思い切っていけ」とマウンドでゲキを飛ばした。が、今村は死球を恐れて内角を突けず、真ん中寄りに投げて、長野に勝ち越し適時打を打たれている。

「今村は長野に遠慮したんや。それでは負ける」

 そう言って悔しがった大野も、実は現役時代に頭部死球の精神的後遺症に苦しんだ時期がある。大野が頭部死球を与えた相手は、巨人のスターだった高田繁。カウント0―2と追い込んでから投げた真っすぐがすっぽ抜けて、高田の頭を直撃。以来「2ストライクになるたびに、ああ、またぶつけちゃいけない思うようになった」そうだ。

現役時代の大野豊氏(右)と達川光男氏(1984年)
現役時代の大野豊氏(右)と達川光男氏(1984年)

 そこで、大野は捕手の達川光男に頼み込んだ。「ノーボール、2ストライクになったら、内角のサインは出さんでくれ。ワンボールになったら、内角にも投げるから」

 自らそういうルールを課して、大野は死球を怖がらずに内角を突く投球を取り戻したのだ。

 栗林も27日の登板後、真っすぐのすっぽ抜けについて「当てないようにコントロールしても、結局あそこ(頭)付近にいってしまった」ともらしている。本当に守護神・栗林らしいピッチングを取り戻すのは、むしろこれからかもしれない。(敬称略)