【今村猛 鉄仮面の内側(18)】2011年の夏に忘れられない場面を経験しています。8月7日の広島―巨人(マツダスタジアム)での出来事でした。

 1点ビハインドの8回二死無走者の場面でした。打席には長野久義さんが立っていました。僕は当時、右打者の内角を攻めるシュートを武器にしていました。

 高めに投げると打者に向かって浮き上がっていくようなイメージ。外角球を得意としていた長野さんに踏み込ませない意図もあり、捕手からサインが出されたはずです。

 長野さんは巨人の中心打者です。その日までセ・リーグトップの打率3割1分1厘を残していて、12本塁打、39打点とチームを引っ張る存在でした。

 4球目でした。高めに投げたシュートをコントロールしきれず、長野さんの左側頭部に当ててしまったんです。長野さんは転倒し担架で運ばれ病院へ向かうことになりました。左頬骨亀裂骨折というけがをさせてしまう形となりました。このプレーによって僕は危険球退場処分となりました。

 あれ以来、僕は右打者の内角にシュートを投げることができなくなってしまいました。事実、それ以降は左打者にしかシュートを使っていません。右打者の内角高めに投球するイメージをすると、その場面がフラッシュバックしてしまうのです。

 その時の動画が出てきてしまうというのでしょうか。投げた瞬間、ボールがたどっていく軌道、その糸が見えてしまうんです。

 11年の僕は巨人戦に11試合登板して1勝2敗、防御率5・54と打たれています。その中でも長野さんには打率5割7分1厘と打ち込まれています。

 頭部死球を与えてしまった相手でも、しっかり内角を攻めて打ち取らないとチームに貢献できません。本当はプロの投手なら悪夢の残像を頭から消さないといけないんですけどね。でも、できませんでした。
 長野さんにはその後、直接、謝罪させていただきました。それから8年後の19年からはFAで広島から巨人に移籍した丸佳浩さんの人的補償として、長野さんがチームメートになりました。あの死球がきっかけで仲良くしていただけました。

 もともと、僕は左右どちらの打者に対してもアウトローのボールを投げるのが得意でした。12年なんてもう投球の9割5分くらいは外角にしか投げてないくらいの投球スタイルでした。

 もう本当にそこだけです。何というか、そこを逆に極めてしまったら得意になったのかもしれません。
 長野さんへの頭部死球で右打者へのインハイ攻めをできなくなったあの過去。その結果、自らインハイという選択肢を殺してアウトローで生きると決めたわけです。今思えばそういう瞬間だったんだなと思います。

 外角低め直球に関しては球質を少し変えながら投げていました。ちょっと引っかけ気味ではないけど、真っスラじゃないけどそういうのを投げたりとか。力勝負する時には少しシュート系にしたりなど。捕手が構えたところに対しての出し入れもあるんですが、意図的に球質を変えていることはプロの捕手ならわかってくれていたはずです。聞いたことないですけど。だから真っすぐのサインがいっぱい出たんでしょうね。