【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(8)】プロ2年目の1989年に初完封を含む2勝を挙げました。関根潤三監督、小谷正勝投手コーチという、おおらかな指導者の下で最初の2年を過ごしました。

 3年目の90年からは野村克也監督がヤクルトのユニホームを着ることになりました。ここが僕にとっては本当にターニングポイントだったと思います。

 そこからの僕の成績を見ればわかります。90年、僕は一軍登板2試合しか投げられてないんです。前年の89年には期待され、大事にしてもらえた感じだったのに、その翌年は2試合4回1/3だけですからね。

 もう、何というのか野球が一気に難しくなりましたね。勝つための野球を叩き込まれました。僕は3年目で21歳になるシーズンでした。社会人からプロに入ってきたくらいの年齢ですが、その時点では野村野球を自分なりに理解して消化することはできませんでした。

 僕は関根監督のときには「ボールが抜けても何でもいいから、試合に出しているのはこっちだから、俺たちがちゃんと責任取るから、思い切って投げなさい」という野球をやらせてもらっていました。

 当時は捕手・秦真司さんと組むことが多かったんですが、秦さんも相手打者の方々に「すいません。こいつ(ボールが)抜けますんで。ワザとじゃないんですけど」と、しょっちゅう言ってくれていたらしいです。

 だから、後にオリックスでチームメートになる岡田彰布さん(現阪神監督)も「怖かったもんなあ。真弓さんもそない言うとったよ」とおっしゃってました。

 ただ、右打者に対して右の横手投げの投手がインコースに強いボールを投げられるということはすなわち、長所なわけです。ぶつけてばかりはダメですけど、結局は自分の中のメンタルをどう持って試合に臨めるかどうかだけだったんです。後で考えると、なんですけど。

 それでいいんじゃないと思われるか、それではダメなんだよと思われるかで、全然ピッチングというものは変わってしまうわけですから。

 今季からMLBに挑戦しているアスレチックスの藤浪晋太郎くんであっても、右打者にぶつけてしまうところもあるけど、結果的に試合に勝つ投手になれるのならOKだと思うんです。ボールが抜けること、死球を与えること自体が悪だという考えではなくて。

 ワイルドピッチだって名球会の村田兆治さんだって、ものすごく記録しているじゃないですか(NPB歴代最多の148)。あのすごいフォークボールをノーサインで投げていたんですよ。それでも、三振はたくさん取るし(2363奪三振)215勝もすればいいんですよ。

 だから、本当に後になって思うことなんですが、僕はどちらかというとそういうむちゃくちゃと思われてもいいような野球が合っていたんです。日本には12球団あって、それぞれに違う野球をする。だからこそ面白いんです。

 90年、あの当時の僕には経験も技術もありませんでした。野村監督の求める野球、投球をすることはできませんでした。でも、野球はものすごく覚えましたし、ものすごく勉強になりました。後の野球人生には生きましたが、当時は苦い経験を重ねました。