【鈴木平 超二流~花の咲きどき~(7)】2年目の1989年8月17日にプロ2試合目にして初先発を経験。阪神を相手に5回1失点で、初勝利を挙げることになりました。

 すると3日後です。遠征先の神戸から東京に戻り神宮球場で広島戦に備えて練習していました。自分の登板もないだろうと思って、気持ち的にはもうのんびりしていました。

 ただ、その日もまた投手のコマが不足していました。先輩たちは「今日は誰? お前聞いてる?」とか会話をしているわけです。そうすると誰も「聞いてないよ」という状況なんです。

 でも、状況からして誰もいないんです。そうしたら先発・鈴木平ですよ。当時の僕はまだ19歳です。言われれば「ハイ」しか言えない立場ではありました。若いですし、投げようと思えば投げられましたしね。

 しかし、中2日でまた先発するとは予想もしていませんでした。ブルペンで準備を始めると、僕の横でアンダースローの宮本賢治さんがピッチングしてるんですよ。いや、宮本さん、先発できるじゃないですか! そう思いながら準備を進めていました。

 そうしたらあれよあれよですよ。広島打線を相手に僕は完封しちゃったんです。プロ野球人生で唯一の完封です。

 ただ、代償もありました。その試合で僕は左脇腹を痛めてしまったんです。短い期間の一軍生活。でも、もうプロで2勝もできたし、プロ初完封も経験できたし、あとはちょっとファームでゆっくり治療して、また頑張ろうと思っていました。

 そうすると関根監督、小谷投手コーチから呼ばれて「俺たちの使い方が悪かったから(登録抹消せず)上に帯同しながら治そうか」と言われたんです。

 僕は「ハイ」しか言えない立場でした。でも、脇腹を痛めてしまうと相当に時間がかかるわけですよ。1か月ぐらいは投げられないですよ。そこから1か月はなんと、毎日アガリ(休み)ですよ。

 起用法が悪かったから一軍に残って治療しなさいと言われましても、本当に何もできないわけですよ。最初の1週間ぐらいは監督もコーチもそう言ってくれているし、仕方がないなと思っていたわけですよ。でも、なんだか居心地が悪くなってくるじゃないですか。だってチャンスもらえない人もいるわけですよ。

 スタンドから練習を観察していた他球団のスコアラー陣も思っていたでしょうね。「鈴木平は何をしているんだろう?」って。なので、僕はしょっちゅうブルペンに行きましたが、投げているふりだけしていました。「ちょっと汗をかいているみたいに、そこらへんを濡らして戻ってこい」とかそんなこともしていました。当時は予告先発でもなかったですからね。

 そんな感じで2年目が終わっていって、関根監督がオフに退任されました。そうして翌年から野村克也さんが監督に就任されることになりました。

 そこから、もうなんていうかね「勝つ野球」に変わっていきました。それと同時に、そこから僕はちょっと生きる道が難しくなってきちゃったんですね。