【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(32)】野球人生最大ともいえる“やらかし”。勝てば球団史上最速でマジック21が点灯するという1997年9月3日の横浜戦(横浜)でのことです。0―1の3回一死一塁で交代を告げられた僕は頭が真っ白になり、大人げなく怒りの感情を爆発させてしまいました。

 マウンドでボールを叩きつけたばかりか、ベンチにグラブを投げつけ、ロッカーでも大暴れ。冷静さを取り戻してベンチに戻ると、野村克也監督から“大目玉”を食らいました。「あれは俺への当てつけか?」。すぐに「自分のふがいなさに腹を立てただけです」と返しましたが、監督は今までに見たことのないような厳しい表情で「そのガッツは敵に向けるべきと違うか!」と。全く、その通りです。

 野村監督は、この試合を優勝を狙ううえで最も大事な試合と位置づけていました。3・5ゲーム差で2位横浜と激突した前夜の第1戦で石井一久がノーヒットノーランを達成。もし負けるようなことがあれば、一久の快投で得た勝利の価値と勢いが半減してしまうからです。

 翌日のスポーツ紙で見た野村監督の談話には、こう書いてありました。

「田畑の調子は良くないと判断した。2、3点取られたら、うちの弱い攻撃力では厳しいので思い切った。田畑には気の毒なことをしたが…」。最後のひと言に僕は救われました。これで燃えなければ男じゃありません。

 リベンジの機会は中9日で訪れました。ミニキャンプを経て臨んだ9月13日の巨人戦(東京ドーム)。僕は生涯2度目の1安打完封で自己最多を更新する13勝目を挙げました。2年連続での1安打完封は、球団では国鉄時代の57年と58年に金田正一さんが記録して以来だったそうです。

 チームは70勝に12球団最速で到達し、優勝マジックは1つ減って14。Vロードを進む中での好投は格別な味でした。野村監督も番記者の前で「田畑がビシッと投げてくれた」と褒めてくれていたそうです。僚友ホージーと本塁打王争いをしていた松井秀喜も3打数無安打1四球に封じ、これにも「松井に引けを取らないどころか、手玉に取っていた。制球力さえあれば大丈夫なんや」と。監督批判とも受け取られかねないことをした僕に、汚名返上の機会を与えてくださった野村監督には感謝しかありません。

 チームは9月28日の阪神戦(神宮)に16―1で快勝して2年ぶりのリーグ制覇を達成。プロ6年目で初めてビールかけも体験することができました。それどころか、優勝決定後には防御率や最高勝率のタイトルを視野に入れた登板までさせてもらい「俺もそんな立場になったのか」と感慨深く思ったものです。