【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(31)】人生の転機なんて、どのタイミングで訪れるか分かりません。僕がいい例でしょう。右肩を痛めて野球に見切りをつけたはずなのに、たまたま地元紙に掲載されていたダイエーの入団テストの告知記事を見つけ、受験→合格→ドラフト10位指名とトントン拍子でプロ入り。一軍と二軍を行ったり来たりしていたと思ったらヤクルトにトレードで移籍し、新天地で出会った野村克也監督や正捕手の古田敦也さんをはじめとした周囲の方々の助けを借りながら、いっぱしの先発ローテーション投手として活躍するまでになったのですから。

 ということは、逆もあるわけです。移籍2年目の1997年、8月8日の横浜戦でシーズン11勝目をプロ2度目の無四球完投で飾った直後に風疹を発症。ヤクルトに来て初めて出場選手登録を抹消されました。

 幸いにも登板を1回飛ばしただけで復帰しましたが、なかなか状態は上がってくれません。復帰初戦となった8月22日の広島戦では野村謙二郎さんの2発を含む3本塁打を浴びて5回5失点で黒星。同28日の巨人戦では2回までに7点の援護をもらって6回5失点(自責4)ながら勝ち投手になれましたが、9月3日の横浜戦で“やらかし”てしまったのです。

 この年のヤクルトは順調にVロードを爆走していましたが、7月を13勝5敗で乗り切った横浜が8月に入って20勝6敗で猛追。3・5ゲーム差で迎えた9月最初の敵地・横浜での直接対決は天王山でもありました。

首位攻防戦での石井一のノーヒットノーランでチームのムードは最高潮だったが…
首位攻防戦での石井一のノーヒットノーランでチームのムードは最高潮だったが…

 初戦を託された石井一久がノーヒットノーランの快投でライバルの野望を打ち砕き、迎えた第2戦でのことです。勝てば球団史上最速でマジック21が点灯するという大一番に先発した僕は、2回に佐伯貴弘の適時打で先制され、3回は先頭打者で相手先発の三浦大輔に内野安打で出塁を許してしまいました。次の波留敏夫を二ゴロに仕留めて走者が入れ替わる形で一死一塁となり、次打者は左の石井琢朗。するとベンチから尾花高夫投手コーチが出てきて、交代を告げられたのです。

 その瞬間、頭の中が真っ白になると同時にやり場のない怒りが一気に爆発してしまいました。手に持っていたボールを叩きつけ、ぶんむくれてベンチにグラブを投げつけると、ロッカーの入り口にたどり着くや力任せに鉄の扉をスパイクで…。ガーンという衝撃音はベンチ内だけでなく、当時はグラウンドレベルにあった記者席にまで響き渡ったそうです。しかも僕が叩きつけたボールは、あろうことかベンチにいた野村監督の前まで転がっていったのでした。