【田畑一也 千載一遇~「野村再生工場の最高傑作」と呼ばれた男~(30)】4月に始まり、約半年にわたって繰り広げられるペナントレースには、必ず山もあれば谷もあります。自己最多の15勝で2年ぶりのリーグ優勝にも貢献した1997年、開幕2戦目で巨人相手に8回2失点と好投し、幸先良くシーズン初勝利を挙げた僕にピークが訪れたのは6月でした。

 1日の中日戦こそ7回4失点で逆転負けを食らいましたが、中6日で臨んだ8日の広島戦で5勝目をマークしてからは連戦連勝。14日の横浜戦は8回2失点、母の55歳の誕生日だった22日の中日戦も8回途中2失点で白星を重ね、野村克也監督の62回目のバースデーだった29日の広島戦では、それまで開幕から63試合連続で零封負けのなかった赤ヘル打線を3安打に抑え、通算4度目の完封勝利を飾りました。

 8日の広島戦以降は全て完投ペースで投げていましたが、3試合連続で8回に被弾。いかに制球を良くして、球数を少なくするかをテーマに投げていく中で、指揮官の誕生日という最高のタイミングで“8回の壁”を克服できたことは、これ以上ない喜びでもありました。

 試合後のハイタッチの際、ウイニングボールを野村監督に手渡したのですが、そのツーショットは翌日のスポーツ各紙で大きく扱っていただきました。後にその画像をネット上で見つけてからは、スマホの待ち受け画面にも使わせてもらっています。舞台となった倉敷マスカットスタジアムでは頭をなでなで「いい子、いい子」されて照れくささもありましたが、あの日の野村監督のうれしそうな顔は今でも忘れられません。本当にいい顔をしているので、皆さんもお時間があったら検索してみてください。

 この6月は5試合に登板して4勝1敗、防御率2・27で、打率3割4分5厘、8本塁打、25打点の僚友ホージーとともに初の月間MVPにも選んでいただきました。前半戦だけで中日の山本昌さんの12勝に次ぐ9勝を挙げ、黒星は3つ。「負け数を減らす」はシーズン前からの目標の一つで、リーグ1位の防御率2・67も評価され、2年連続の球宴出場を果たすこともできました。

 球宴明けも順調に白星を重ね、8月1日の中日戦で2年連続の2桁勝利となる10勝目をマーク。8日の横浜戦ではプロ2度目の無四球完投勝ちを飾りました。そんな矢先のことです。冒頭で申し上げた通り、長いペナントレースの間には山もあれば谷もあります。僕が“落とし穴”にハマったのは11勝目を挙げた横浜戦の直後でした。

 体調が優れず、医療機関で受診したところ、診断結果は「風疹」。2日ほど病院で過ごすことになりました。さらに数日の自宅療養を経て練習を再開しましたが、出場選手登録の抹消はヤクルト移籍後初のことです。チームが順調に貯金を増やしてVロードを爆走しているさなかでの戦線離脱。今になって思うと、これがケチのつき始めだったのかもしれません。