2009年6月13日に試合中のアクシデントで帰らぬ人になったプロレスリング・ノア創業者、三沢光晴さん(享年46)の14回目の命日を迎えた。8月に旗揚げ23年を迎える団体は、紆余曲折を経て20年からサイバーエージェント傘下となり、所属選手も大きく様変わりした。三沢さんがつくった理想の舞台に、今でも〝遺伝子〟は残っているのか。団体生え抜きの杉浦貴(53)が取材に応じ、その思いを語った。

 毎年この時期を迎えると、ノアは荘厳な空気に包まれる。2009年6月13日の広島大会。GHCタッグ選手権の試合中に三沢さんが死去してから、14年の月日がたった。杉浦は「三沢さんは今の俺を応援してくれるかな。どう見ているのかね」と静かに天を仰いだ。

 旗揚げメンバーで現在も所属するのは杉浦の他、丸藤正道、小川良成だけとなった。「今は三沢さんがいた時を知らない選手の方が多くなっているからね」

団体生え抜きの杉浦貴
団体生え抜きの杉浦貴

 だが、三沢さんが創設したノアは業界の主要団体として君臨し続けている。2月には武藤敬司の引退興行として18年ぶりとなる東京ドーム大会も成功させた。「ノアっていう団体が、また上がっていっているのは喜んでくれていると思うよ」

 当時39歳だった杉浦は、5月に53歳になった。キャリアも積み、わかったこともある。「すごい人だったんだなっていうのを改めて思うんだよ。試合に関しても人間性としても。とにかくプロレスのことを考えて、プロレスを良くしようとしていた。自分が自分が、というんじゃなかった」と振り返る。

 大きな器に最初に触れたのがデビュー前だ。レスリングで活躍した杉浦は29歳のときに自衛隊を辞め、全日本プロレスの門を叩いた。当時すでに妻と子供がおり、不安を抱えての船出だった。「後楽園であいさつをした時に『何も気にせず入ってこい』という感じで。金銭面も家族がいることも気にしてくれてね」と明かす。

 練習生時代には団体が分裂。三沢さんから「何も気にせずついて来てくれ」と言われた杉浦は迷うことなく行動をともにし、00年8月に旗揚げしたノアに移った。近くにいて、常に肌で感じたのが、旗揚げ時に三沢さんが掲げた「自由と信念」だ。

杉浦は三沢さんとのタッグで2009年1月4日、新日本の東京ドーム大会に出場
杉浦は三沢さんとのタッグで2009年1月4日、新日本の東京ドーム大会に出場

 09年に三沢さんと組み、新日本プロレス1・4東京ドームに出場し、中邑真輔&後藤洋央紀と対戦した。三沢さんから「俺のことは気にせず好きなようにやれ」と言われたことで、絶好の大舞台でアピールすることができた。

「俺の場合、とにかく好きにやらせてもらえたな。三沢さんもわかってくれていたのかなって。俺の場合、特に自由の部分を感じたよ。信念のある自由じゃないとダメだけどね」と口にした杉浦は「今後も俺なりの『自由と信念』を持って戦っていきたい」と決意を改めた。

 17日の名古屋国際会議場イベントホール大会では、GHCヘビー級王者ジェイク・リー(34)に挑戦する。「もう、いつでもって感じだよね」と胸を張った杉浦は「ノアには俺みたいのもいるよっていうのを教えるよ。どちらかが倒れるまでやり続けようよってこと」と自信をみなぎらせた。

 勝てば4年半ぶり5度目の同王座返り咲きを果たす。22年前に三沢さんが初代王座に就いたベルトを再び腰に巻き、果たしたいこともある。

「イケイケの選手とか、いい選手との戦いを重ねていって、その上で丸藤とベルトをかけて戦いたい。そうなれば三沢さんも? それが一番。うん、喜んでくれるでしょ。2人でやるなら大きいところでね」。師匠にささげるGHC戦実現を目標に、ベテランは名古屋決戦に向かう。