あの日、あの瞬間、当事者は何を思っていたのか。マット界を騒がせた事件、名勝負、レスラーを再検証する「プロレス紀行」。今回は1985年に熊本で起こった「お前、平田だろ!」事件の真相に迫る。藤波辰巳(現・藤波辰爾)が突発的に発したこのセリフは伝説の迷言として今でも語り継がれている。突然、宿敵に正体をバラされてしまったスーパー・ストロング・マシンはどんな心境だったのか。38年の時を経て平田淳嗣氏(66)が当時の葛藤を明かした。

【プロレス紀行(2)=S・S・マシン編】40年ほど前のセリフなのに今でもよく耳にする。「お前、平田だろ!」は「こんばんは、ラッシャー木村です」と並びプロレス界の二大迷言として知られる。それは85年5月17日の新日本プロレス・熊本大会で起こった。

 藤波はIWGPトーナメント1回戦勝利後、マシンと仲間割れしていた将軍KYワカマツに襲われた。そこに藤波との一騎打ちを熱望していたマシンが割って入り、ワカマツを蹴散らし、藤波を救助。ところが藤波はマイクを握るや「マシンよ、お前の挑戦を受けてやる。その代わりにマスクを脱げ。お前、平田だろ!」と言い放ったのだ。

令和でも愛されているS・S・マシンのマスク
令和でも愛されているS・S・マシンのマスク

 正体をバラされたマシンは自らマスクを脱ぎ捨てたが、タオルで顔を隠したため素顔をさらすことはなかった。それでも前代未聞の出来事に場内は騒然。これが事件の顛末だ。現役時は〝機械仕掛け〟だったため多くを語れなかった平田氏が、当時の心境を明かしてくれた。

「まさかだよ。アドリブだから。藤波さんには突発的な言葉はよくあった。でも正体を暴露するなんてありえないでしょう。思わず受け身をとろうとしたよ(笑い)」

 藤波は「一番やっちゃいけないこと」と深く反省しつつも「ファンの99%がマシンを平田だと決めつけている」と主張。前年にカナダ・カルガリーで消息を絶った平田がマシンであることは周知の事実だったというが、本当にそうだったのか。

「そんなことはない。身内とかはともかく、他はみんな外国人だと思っていたよ。俺もしゃべらなかったしね。だからあの発言は…」

 マスクマン最大の売りは正体不明の「ミステリアスさ」。そんな〝商売道具〟を宿敵の勇み足によって失ったのだから、たまらない。今後ネタにされることは明白で、こうなった以上は素顔で戦うほうが気楽だったろう。それでも覆面をかぶり続けた。なぜか。

「会社がマスクを脱がそうとするのなら、意地でもマスクを脱ぎたくなかった。藤波さんへの怒りとかはなく、あったのは会社への不信感。まだ海外にいたかったのに急に戻され、キン肉マンの話が出たんだ。それからずっと会社に振り回されていたから。そうはいくかと」

KYワカマツ(右)とともに目出し帽で登場した平田(1984年8月)
KYワカマツ(右)とともに目出し帽で登場した平田(1984年8月)

 キン肉マンは大ブームを巻き起こしたタイガーマスクの〝二匹目のどじょう〟を狙ったもので、海外で実績を積み上げている平田に白羽の矢が立った。マスクまで出来上がっていたが、テレビ局の事情でボツになり、平田は急きょ目出し帽姿の謎のマスクマンに変身。その後、マシンになる。

「キン肉マンはすごい人気だったけど、ピンと来なかった。そもそも俺はそんなに筋肉があるワケじゃないのに…。引っかき回されて、会社の望み通りマスクを脱いで正規軍に入ったら、藤波さんのかませ犬になることは目に見えていたから」

 翌18日の後楽園ホール大会ではアントニオ猪木に「お前は平田だ!」と突っ込まれ、館内はさらにヒートアップ。だが、マシンも負けていなかった。マスクを脱ぎ捨てたが、中にもう一枚マシンのマスクをかぶっていたのだ。「痛快だったよ。リングでは絶対に笑わないあの猪木さんが俺を見た瞬間、ニタッって笑った。あの時の猪木さんの表情は今でも忘れられない。勝ち誇ったよ」

 そんなマシンが覆面を脱いだのは94年10月30日の両国大会だ。蝶野正洋とSGタッグリーグ決勝戦に臨んだが、タッチを拒否するなど不可解な動きを見せた蝶野と仲間割れして敗北。マシンは脱いだマスクを蝶野に叩きつけ「しょっぱい試合してすみません!」と今度は自らがマット史に残る迷言を残した。

試合中にマスクを蝶野(左)に投げつけるマシン(1994年10月)
試合中にマスクを蝶野(左)に投げつけるマシン(1994年10月)

「あれは蝶野がマシンのことを明らかにバカにしていたから、衝動的に脱いでしまったんだ」

 その後はしばらく素顔の平田で戦ったが、再びマシンに戻って2018年に引退。翌年には息子がマシンの遺伝子を引き継ぎ「ストロング・マシンJ」でデビューした。現在はプロレス界を離れ、のんびりと第二の人生を送っている。プロレス生活40年。「お前、平田だろ!」の反響はすさまじく〝悲しきマスクマン〟のイメージが最後までつきまとった。そんな覆面人生は本当に幸せだったのか。

「カナダから帰ってから腹立たしいことばかりだった。でも、いろいろあったけどIWGPにまで挑戦させてもらったし、マシンのまま引退できた。それはそれで全部いい思い出だよ。『俺は平田だ!』というところを見せれたんじゃないかな」