【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(15)】ナゴヤドーム元年の1997年、ドラゴンズは最下位となりました。しかしシーズン終了後の10月14日、チーム内に衝撃が走ります。「中日・大豊&矢野↔阪神・関川&久慈 電撃トレード」。星野監督の思い切った血の入れ替えに中日ナイン全員がカツを入れられたような気になりました。

 大豊さんは94年に本塁打王と打点王の2冠に輝くなど中日を代表する長距離打者でした。矢野さんもこのときはまだ正捕手の中村さんに次ぐ存在でしたが、スタメンで出場する試合も増えているときでした。その大豊さんと矢野さんがトレードで阪神に移籍することになったのですからみんなが驚くのも当然です。何より大豊さんが驚いてましたね。

 矢野さんは東北福祉大の先輩ですごくお世話になった方でした。バッテリーを組んだときには配球や打者との駆け引きなど丁寧に教えてもらいました。勝負強い打撃が持ち味で、捕手としては珍しく足も速く、盗塁もしていました。マスクをかぶるだけでなく、サードや外野で出場する機会もあっていろいろ大変だったと思います。ヤクルトの古田さん、横浜の谷繁さん、中日の中村さんとセ・リーグには個性のある捕手がそろっていましたが、矢野さんも走攻守3拍子そろったスマートな捕手として注目され始めていました。

 当時は同一リーグでのトレードはそれほどなかった時代でもありましたから「大豊さんや矢野さんのようにチームに貢献していた人でもトレードってあるんだ」と自分をはじめみんなが危機感を持ったと思います。星野監督は広いナゴヤドームで勝つため、大豊さんと矢野さんを放出してまで内野の要として抜群の守備力を誇る久慈さんと足の使える関川さんを獲得したのですが、これがズバリと当たります。

 翌98年から走塁も絡めた守り勝つ野球に転換していきドラゴンズは開幕から首位争いを繰り広げます。僕もローテーションの一角を守り、10勝9敗、防御率3・40と2年連続2桁勝利を記録。この年、中日投手陣で規定投球回数に達したのは山本昌さん、野口、川上、そして僕の4人でした。シーズン最後まで横浜と優勝を争いましたが、大学の先輩である守護神の佐々木主浩さん、先発の斎藤隆さんが大活躍したベイスターズにあと一歩及ばず2位に終わりました。

 僕は入団してからの3年間で2桁勝利を2回記録。通算27勝(24敗)を挙げてチームのために貢献できているという自信も芽生えてきました。この年のオフにはダイエーから武田一浩さんがFAで中日に移籍。武田さんはこの年、13勝を挙げたピッチャーです。投手陣に厚みができ、来年こそは優勝をと燃えていたのですが、翌99年、思わぬ運命が僕を待ち受けていたのです。