【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(12)】 プロ入り1年目の1996年、僕は後半戦から一軍に昇格。2試合目の登板で初勝利を挙げるとプロ初先発となった8月2日の巨人戦で完封勝利。さらに8月8日の広島戦でも勝ち投手となって3連勝を飾りました。
自分でもビックリするほど順調なスタートとなったのですが、さすがにプロはそんなに甘くはありません。8月21日の広島戦(ナゴヤ球場)に先発した時は江藤さんにスライダーを本塁打されるなどめった打ちにあい、プロ初黒星を喫したのです。
「真ん中にスライダーを投げて抑えられると思うな!」。マウンドを降りた後、僕は星野監督からめちゃくちゃ怒られました。星野監督から怒られたのはこのときが初めて。ベンチ裏で直立不動で監督の言葉を聞いてましたが、とにかくすごい迫力でした。
この年は首位・広島に一時11・5ゲーム差をつけられていた巨人が夏場に猛スパートをかけトップに浮上。長嶋監督の「メークドラマ」という言葉は流行語にもなりました。しかし巨人に猛烈なライバル心を燃やす星野監督のもと、ドラゴンズも最後までくらいつきます。9月24日の横浜戦から10月5日の広島戦まで怒とうの6連勝。残り3試合(そのうち巨人との直接対決が2試合)全て勝てば巨人と同率でシーズンを終え、セ・リーグ史上初のプレーオフが実現するというところまでもっていったのです。
そして迎えた10月6日、巨人との直接対決。中日は翌97年から本拠地をナゴヤドーム(現バンテリンドーム)に移すため、この日がナゴヤ球場ラストゲームでした。2年前のシーズン最終戦で優勝をかけて中日と巨人が戦った10・8決戦と同じように日本中が注目したこの大一番で中日の先発を任されたのが僕でした。
逆転優勝に向けて負けられない戦い。僕も気合十分でマウンドに上がったのですが2回二死から大森さんに先制ソロを許すと1―1の3回にはマックに3ランを浴びて4失点で降板。ナゴヤ球場最後の試合は2―5で巨人に敗れ、長嶋監督が胴上げされたのです。
僕はルーキーイヤーのこの年、後半戦だけで7勝(3敗)を挙げましたが正直、まったく喜びというものはありませんでした。それは最後に自分が投げた試合でジャイアンツの優勝を許してしまったからです。ナゴヤ球場最後の試合で先発した僕がやらかしてしまった。そんな悔しさでいっぱいでした。
「ナゴヤ球場を愛してくださって本当にありがとうございます。今日の悔しさを胸に秘め、来年ドームで出直します。サヨナラ、ナゴヤ球場! 世界一のグラウンドです。またドームでお会いしましょう。ありがとう!」。長嶋監督の胴上げの後に行われたナゴヤ球場お別れセレモニーでの星野監督のあいさつを聞きながら、僕は翌年のリベンジを誓っていました。












