【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(11)】プロ1年目の1996年、僕は後半戦から一軍に昇格し、リリーフ登板した7月28日のヤクルト戦(神宮)でプロ初勝利を挙げることができました。初めて勝ったことでようやくプロ野球選手、そしてドラゴンズの一員になれた気がしました。

 続く横浜3連戦では登板機会はなかったのですが、僕は首脳陣から驚きの通達を受けたのです。「明日の巨人戦、先発で行くから」。8月2日の巨人戦(ナゴヤ球場)に先発予定だった今中さんの左肩の状態が良くなかったため、代わりに僕が先発マウンドに上がることになったのです。これには真っ青になりました。

 当時の巨人は長嶋茂雄監督が指揮を執り、落合博満さんや松井秀喜らプロ野球を代表するスター選手がゴロゴロいるすごいチームでした。しかも星野監督にとってジャイアンツは永遠のライバル。巨人戦になるとチーム全体が「絶対に負けられない」という戦闘モードに変わります。そのジャイアンツがプロ初先発の相手なのです。しかもそれを告げられたのが登板前日なのですから、僕が青ざめるのも無理はありません。前夜はほとんど眠れませんでしたし、試合までどうやって過ごしていたのか記憶にないほど緊張していました。

 ところが試合に入ると意外に冷静に投げることができたのです。初回、いきなり先頭の仁志さんにレフト前ヒットを打たれたのですが、このピンチを切り抜けると肩の力も抜けていきました。「打たれて当たり前、抑えられたらラッキー」。そう開き直って投げたのが良かったのだと思います。初回から8回まで強力巨人打線を相手に0行進。そして9回も0に抑えて2―0で勝利し、プロ初先発で完封勝利を飾ってしまったのです。

 中日では1987年に近藤真一さんがプロ初登板でノーヒットノーランを達成していますが、それ以来となる巨人戦初登板での完封勝利。宿敵・巨人を相手にルーキーが9回まで0点に抑えたのですからナゴヤ球場のスタンドも大盛り上がりです。この日、僕は初めてナゴヤ球場でお立ち台に上がりましたが、ものすごい声援でした。何をしゃべったのかは忘れましたが、ホッとしたことだけは覚えています。

 試合後、星野監督も「よくやった」と握手で迎えてくれました。初めて先発マウンドに送った新人が完封するとは全く思ってなかったでしょうから、星野監督もニコニコです。これで首脳陣からの信頼を得た僕は8月8日の広島戦にも先発。この試合も8―2で勝利を収め、僕は3連勝となりました。

 この年は中日、広島、巨人の3チームが激しい首位争いを繰り広げていました。後半戦から一軍に上がった僕も先発ローテーションの一角を担うようになり、プロ1年目からしびれるような試合を経験させてもらいました。中でも忘れられないのがナゴヤ球場最後の一軍公式戦となった巨人との“10・6決戦”でした。