【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(10)】1996年にプロ野球選手としてのキャリアをスタートした僕ですが、キャンプ、オープン戦、シーズン前半戦とずっと二軍。しかし後半戦スタートのヤクルト戦で初めて一軍に呼ばれました。

 後半戦前日の7月25日に神宮球場で行われた練習で僕は初めて正捕手の中村武志さんにボールを受けてもらいました。神宮球場三塁側のブルペンで何球か投げた後、中村さんに「お前は背が高いからフォークボールを投げた方がいいんじゃないか」と言われたのです。当時の僕はストレートとスライダーが中心でフォークボールはほとんど投げていませんでした。大学時代もフォークボールは1試合で2、3球投げる程度でしたし、とても持ち球といえるレベルではなかったのです。

 中村さんに言われたのでフォークボールを投げようとしたそのときです。「ボールを見させてくれ」とブルペンにやってきたのが立浪さんでした。翌日から始まる後半戦を前に打席に入ってボールに目をならせておこうとしたのです。一軍に上がったばかりの新人がミスタードラゴンズが打席に入ったシチュエーションで投球練習するわけですから超緊張です。「立浪さんにぶつけたらどうしよう」。そんなことを思いながらエイヤっとフォークボールを投げたのですが、これが思いのほか、いい感じに決まりました。「このボールは使えるぞ」「これなら勝負できる」。それまでほとんど投げたことのないフォークボールでしたが、立浪さんと中村さんという中日を代表するプレーヤー2人が太鼓判を押してくれたのは僕にとって大きな自信となりました。

 翌7月26日の後半戦初戦。「ピッチャー門倉」。ヤクルトに大差をつけられたこともあって、僕にリリーフの機会が訪れました。プロで初めての一軍マウンドです。めちゃくちゃ緊張しましたが、何とここでもフォークボールがズバッと決まりデビュー戦でいきなり2つの三振を奪うことができたのです。

 さらに2日後、7月28日のヤクルト戦でも僕は負けている場面でリリーフ登板。ここでもフォークボールがしっかりと落ちて2回を無失点に抑えました。しかもその後、味方打線が逆転してくれて僕にプロ初勝利が転がり込んできたのです。実はこの日は父の誕生日で僕は球場に招待していました。父はすでに亡くなっていますが、初勝利のウイニングボールをプレゼントできたのは自分にとって最大の親孝行だったと思っています。

 立浪さんと中村さんが一軍に上がったばかりの僕のフォークボールをほめてくれたことで、自信を持って投げ込めるようになり、僕のウイニングショットとなっていきました。僕はNPBで4度の2桁勝利を記録することができましたが、あのときの立浪さんと中村さんの言葉がきっかけとなってプロで活躍できたんだと思っています。