【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(8)】 1995年のドラフト会議で中日から2位指名を受けた僕は数日後、名古屋へ行きました。ドラフト1位の荒木雅博とともにドラゴンズ応援番組の「サンデードラゴンズ」(CBC)に生出演するためでした。しかもこの日の収録には星野監督も一緒だったのです。

 星野監督は2度目の中日監督に就任したばかりでしたが、何といっても“鉄拳制裁”が代名詞になっていた闘将です。初めてお会いするということで当然、僕も荒木もめちゃくちゃ緊張していました。ところが星野監督はすごくにこやか。「よろしくな」「頑張ってくれ」と笑顔で握手をしていただいて「あれ? イメージと違ってやさしいんだな」と思ったものです(もちろんプロ入り後すぐにその考えは変わりましたが…)。

 とにかく子供のころから憧れだったプロ野球選手になることができて僕は幸せでした。ただその一方で冷静な自分もいました。僕の出身地である埼玉県入間市でプロに入ったのは初めてということで周りからは「後援会をつくろう」という声が上がりましたが、僕は断ったんです。プロに入ったのはうれしいけどやはり活躍しないと意味がない。だから「そういうのは自分が活躍できてからお願いします」と言っていました。

 実際、プロに入ってみて他の投手のピッチングを見たときに「これは生き残るのはたいへんだぞ」と危機感を覚えましたね。体力的な部分では自信はあったのですが、技術的な面でやはりプロはすごかった。沖縄でのキャンプは二軍スタートだったのですが、プロの先輩たちはコントロールの精度が違うと思わされました。スピードに関してはプロでも通用するのかなと思ってましたけどバッティングピッチャーをやるとガンガン打たれる。キャンプが終わった後、二軍のオープン戦で開幕投手をさせてもらったのですが、ここでもめった打ちにされて序盤で5、6点取られました。その時は「これはダメだ」「自分はプロで何年できるんだろう」と不安がよぎりました。

 ところがあるとき鈴木孝政二軍投手コーチが「お前はクセを治せば抑えられる」と言ってくれたんです。鈴木コーチによればセットポジションに入るときの動きで僕がストレートか変化球を投げるのかがわかるというのです。それまで自分の投球フォームにクセがあるなんて思ったこともなかったのですが、投球動作のちょっとした違いで球種を見抜くのですからやはりプロは違います。鈴木コーチや稲葉二軍投手コーチと相談して投球フォームを改良してからはそれなりに二軍で抑えられるようになっていったんです。

 入団1年目はとにかくプロの技術の高さに驚かされることが多かったのですが、中でも「これはかなわないな」と思わされた先輩投手が2人いました。それがドラゴンズのダブルエース、今中慎二さんと山本昌さんでした。