【平成球界裏面史 松坂影武者編】今思えば大変な騒ぎだった。平成の怪物が動けばそれを追うマスコミ、ファンが大移動する。西武・松坂大輔(当時18歳)が入団した最初のキャンプが行われたのは、平成11年(1999年)の高知・春野。この地で連日、繰り広げられた〝狂騒曲〟の真っただ中で取材したことは今となっては財産だ。
事件は2月14日に起こった。西武ファン、大輔ファンの記憶には残っているであろう出来事。いわゆる「影武者事件」が発生した日だ。バレンタインデーとあって、運よく接近できればチョコを手渡そうという女性ファンも大勢いた。
この日はキャンプ最高となる1万5000人(球団発表)もの観衆が集結。そのほとんどが松坂の動きを逃すまいと追いかけた。練習中、ブルペン脇にあったプレハブ小屋から陸上競技場までの約500メートルを移動する必要があったが、かなり困難なミッションだった。
当時の森繁和二軍投手コーチ(のちの中日監督)は考えた。視界に入った3年目右腕・谷中真二投手(当時25歳)を「ちょっと行ってこい」と〝影武者〟に指名。松坂のユニホームを着せて群集の中に放ったのだ。
スタスタスタ…。松坂が動き出したと思い込み、大群がどっと背番号18番に押し寄せた。まさに民族大移動。しかし、その間に松坂本人はグラウンドコートのえりで顔を隠し、ワンボックスカーに乗せられ別ルートで難なく移動していった。
これには大半の番記者たちも騙された。その様子を見た松坂は「まんまとハマっちゃいましたね」とうれしそうだった。
この出来事は各紙で大きく報道された。微笑ましいキャンプエピソードで終わりそうな雰囲気だった。
だが、当時の小野賢二球団社長は違った。「ファンの方々をだますようなことをするものではない」と不快感を示したのだ。
後輩を守ったつもりが、矛先が谷中に向かってしまってはとばっちり。ここは指令を出した森コーチが「自分の指示でやらせたこと」と同社長に説明し収拾したのだが、松坂フィーバーを象徴するような出来事だった。
あれから24年の時を経て〝影武者〟を務めた谷中は、阪神・宜野座キャンプでスコアラーとしてチームに帯同している。今年で年齢は50歳となる、いわゆるイチロー世代だ。
キャンプ期間中、西武の投手と担当記者に一瞬だけ戻って話せる機会があった。谷中スコアラーはあの出来事をこんなふうに振り返った。
「去年、大輔が評論家として宜野座に来てくれて『あの時はご迷惑かけて失礼しました』って言ってくれたんですね。でも、大輔は何にも悪くないし。森さんがかばってくれたので、小野球団社長が怒ってらしたことも僕は知らなかったですからね。あれも今となってはいい思い出ですよ」
四半世紀近くが過ぎても語られる逸話。平成の怪物の影武者は谷中さんです。


















