【平成球界裏面史 松坂アテネ五輪~WBC編】あの当時の時代の流れなのか。松坂大輔投手を中心に回るように、野球の歴史も動いていった。
1998年(平成10年)に横浜高校のエースとして甲子園で春夏連覇。99年はルーキーイヤーから大活躍で16勝を挙げ最多勝、新人王に輝いた。その流れの中、00年シドニー五輪にはNPB選手の参加が認められ、松坂はエースとして出場。ただ、登板した3試合でいずれもチームが敗戦してしまう悔しい結果となった。
セパ両リーグの足並みがそろわずプロアマ混成チームではあった。とはいえ、プロが初参戦した五輪でメダルなしという結果。世間の期待が大きかっただけに落胆も大きかった。
それでも、松坂はタダでは転ばない。「この悔しさを4年後に晴らしたい」。そう話した通り平成の怪物はアテネ五輪のマウンドにエースとして帰ってきた。
結果は準決勝のオーストラリア戦で痛恨の1敗を喫し銅メダル。そんな印象が強いかもしれない。だが、このアテネ五輪から松坂は世界の強豪・キューバに対し、3連勝している歴史を忘れてはいけない。
2度目の五輪。シドニーの雪辱。人生初の対戦となる世界最強軍団・キューバとの戦い。
松坂にとってテンションの上がる条件が勢ぞろいしていた。予選リーグのキューバ戦は最速154キロの直球を中心に力の投球。4回一死まで無安打投球と実力を見せつけた。
「状態も良かったですし、集中できていましたね。周りの声も聞こえたし、景色も見えていました」
10代から大舞台を経験してきただけのことはある。緊張すら力に変える胆力があった。
ところが、次打者のユリエスキ・グリエルを迎えたところで、状況は暗転する。のちにベイスターズ、アストロズで主砲として活躍するスーパースラッガーの痛烈なライナーを右腕に受けてしまったのだ。右腕は痛み感覚を失うほどだった。それでも続投し、8回無失点でジャパンに勝利をもたらした。
過去、日本代表は五輪の舞台でキューバに5戦全敗。歴史的といっていい勝利に大きく貢献した。金メダルこそ逃した。だが、金メダルのキューバには勝った。「ゼロに抑えなきゃいけない展開なら、そう投げるのが仕事。それができなかった。悔しいですね」と、オーストラリア戦での敗戦を悔やんだが、世界に実力を知らしめた大会だった。
そこから2年後、06年の第1回WBC決勝戦でも、松坂はキューバの前に立ちはだかった。初回先頭のパレにいきなり本塁打を許したが、4回1失点で救援陣につないだ。世界一を決めた白星を含め大会最多の3勝。初代MVPにも選ばれた。
さらに、09年の第2回WBCでも2次ラウンドでキューバと対戦。6回5安打無失点8奪三振の内容でチームの勝利に貢献した。侍ジャパンはイチロー、松坂の活躍もあり世界連覇の偉業を達成した。
この大会から松坂は過去2度の対戦とは違い、メジャーリーガーとしてキューバを迎え撃った。投球内容、試合後のコメントに格段に成長した松坂が垣間見えた。(敬称略)
















