【平成球界裏面史 松坂スワンボート編】平成12年(2000年)の年始早々に事件は起こっていた。〝松坂大輔・スワンボート遭難事件〟とでも題しておこうか。東スポ1面で報じられた衝撃ニュース。本人は無事で何よりだったのだが、舞台裏では大騒動となった事件が存在した。
前年の1999年、パ・リーグ新人王に輝いた西武・松坂大輔投手(当時19)。意気揚々と00年1月8日から神奈川県箱根町で西武系列のホテルを拠点に自主トレを開始した。
平成の怪物の2年目始動に注目は集まっていた。1月8日は背番号と同じ「18」。末広がりで縁起のいい8時、背番号の「18」、目標だった「20勝」にちなみ1月8日午前8時18分20秒に朝の散歩というスタートとなった。
自主トレ開始前から宿舎上空にはテレビ局のヘリコプターが旋回。「松坂大輔自主トレ直前情報」として朝のワイドショーで生中継で取り上げられた。
現地には31社71人の取材陣が集結。松坂は大勢の大人を引き連れ芦ノ湖畔を30分ほど散歩した。その後、箱根神社を参拝。するとその頃には、朝のワイドショーで情報を得たファンが続々と箱根に集まり始めた。
さらにテレビ中継の直後から松坂が滞在するホテルに続々と予約の電話が鳴り出したのだ。何と恐ろしい影響力。この時代にSNSがあったならさぞバズったに違いない。
この自主トレは18日まで続けられた。都内での表彰式やアイスホッケー観戦、野球教室への参加などを同時期にこなすハードスケジュールだったが、充実の全日程をクリアしたはずだった。
ただ、この期間に松坂は水難事故に遭遇しかけていた。自主トレをサポートしたメンバーと芦ノ湖に浮かぶ「スワンボート」を漕ぐトレーニングを取り入れた時だった。
ペダルを漕いでスワン型のボートに動力を伝えるわけだが、本気で漕ぐと超ハード。離岸した直後に運悪く強風が吹き、沖から岸へ戻れなくなってしまったのだ。
アスリートが本気になっても風で思う方向へ進むことができない。事故にでもなれば洒落にならない。1月の湖に落水すれば命にも関わる。
当時の松坂は焦った。
「さすがにこれはヤバいと思いましたね。何かあっらたホテルにも関係者の皆さんにも迷惑をかけてしまう。フロントに連絡を取ろう思っても部屋に携帯を置いてきてるし…」
幸いボートは頑丈で転覆するほどではなかった。「こうなったら、風に乗って向こう岸まで行ってしまえ」と作戦変更でことなきを得て、ランニングでホテルに帰還したのだったが…。限られた関係者しか知り得ない情報を当時の東スポはキャッチしていたのだ。
球界の宝がこんな危険な目に遭遇していたとは。本人はもとより、周りの大人が真っ青になってしまった平成の大事件だった。(敬称略)

















