【平成球界裏面史 近鉄編(1)】平成元年(1989年)の日本シリーズと言えば、近鉄・加藤哲の「ロッテより弱い」発言に巨人が発奮、3連敗から4連勝したことで名高い。が、実際に全7戦を取材した私は、藤田監督の〝挑発発言〟のほうがよっぽど強く印象に残っている。
シリーズ前日、藤井寺球場の監督会議で、藤田監督は近藤ヘッドコーチを従え、近鉄・仰木監督、中西ヘッドと対峙。終了間際に「最後に一言」とこう言い出したのだ。
「リベラという選手にはとかくの噂があると聞いています。管理、指導をしっかりお願いしたい」
この発言に中西ヘッドが「噂て何やねん。はっきり言うたらええやん」と気色ばむ。藤田監督は言葉を濁したが、リベラがシーズン中に相手投手を殴った事件を示唆しているのは明らかだった。
近鉄の4番リベラは元アマチュアボクサーで、成績は24戦全勝15KO。来日当初は、「俺に死球をぶつけた投手には得意のパンチをお見舞いしてやるからな」と、今なら大問題になりそうな物騒な発言で注目された。
そして、〝有言実行〟に出たのは8月16日、藤井寺のオリックス戦だ。2回に相手投手・関口に左肘をかすめられるや、リベラは猛然とマウンドに突進。左フックを叩き込んで退場となった場面も、私は記者席で見た。この事件から、リベラ=暴れん坊というイメージが定着したように思う。
ところが、だ。のちに近鉄のエース阿波野(現巨人投手チーフコーチ)が明かしたところによると、この暴行退場劇にはとんだウラがあった。
リベラは実際は温和な性格で、死球を当てられても淡々と一塁へ歩いていた。そこで近鉄ナインに「威勢がいいのは口先だけか」「たまには暴れて見せんかい」とあおり立てられ、それならと一暴れして見せたのだ。
そうしたら今度は同じ選手たちに「4番が2回に退場になってどうすんや」と責められ、リベラはガックリ。なお、近鉄が勝ったこの試合、勝利投手は阿波野だった。
当時の近鉄で怒ったら怖かったのは、リベラの前の3番を打ち、優勝に貢献したブライアントのほうだろう。6月28日のロッテ戦では、前田(現東スポ評論家)の投球が右腕に当たり、この試合2度目の死球に激高。
間に入ったロッテ選手を突き飛ばしてマウンドに突進し、しがみついて制止する近鉄選手も引きずり回し、重戦車並みのド迫力だった。最後には仰木監督が両腕を広げて止めに入った。この場面はスポーツ総合雑誌ナンバーの表紙にもなった。
さて、そんな暴れん坊たちを率いて藤田巨人との日本シリーズに臨んだ仰木近鉄。3連勝から4連敗した直接の原因は、有名な〝加藤発言〟よりも仰木監督の用兵ミスにあった、と私は思う。
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