【平成球界裏面史】2001年7月17日に甲子園で行われた伝統の一戦、2―2の8回表に〝事件〟が起こった。無死二塁で打席に入った清原が三塁ベースコーチの篠塚に歩みよると、サインを確認。テレビに映った顔は明らかに怒っていた。

 清原が血相を変えたのも無理はない。12日のヤクルト戦で3打数2安打3打点、13日の広島戦は4打数3安打4打点、14日の広島戦では5打数2安打4打点、延長11回に玉木からプロ初のサヨナラ満塁弾を放つなど絶好調。この時点で87打点はリーグトップだった。過去3打席は先発・井川の前に空振り三振、四球、空振り三振と合っていなかったが、マウンドは遠山だった。

 記者席で「まさかバントじゃないよな」と思った次の瞬間、清原は腰をかがめてバットを構えると甲子園はどよめきに包まれた。遠山が投じた初球を一塁前に転がした。新人以来、15年ぶりの犠打を記録。通算5個目だ。

 わざとファウルすることもできたろうが、1球で決めるのはさすがだ。同時にプライドを感じた。

 どよめきが続く中、清原はベンチに戻ったが首脳陣や選手とのタッチはなし。ある選手によると「もの凄く怖い顔で近づくなオーラを発していた」そうで、だれも近寄れなかったという。

 残念ながら長嶋監督の非情の采配は実らなかった。続く、高橋由が二ゴロ、元木敬遠後、代打清水も一塁への強烈なゴロに倒れた。9回二死満塁で清原はこの日、5度目の打席に入ったが、空振り三振。結局、2―3でサヨナラ負け。阪神戦に限れば、6月20、21日に続く3戦連続サヨナラ負けとなった。

2001年、オールスターで全セを率いた長嶋監督と清原
2001年、オールスターで全セを率いた長嶋監督と清原

 当然、試合後の通路は重苦しかった。長嶋監督の「(8回の清原の送りバントは)あそこはどうしても1点欲しい場面だった。清原は今日はタイミングが合ってなかったから。清原だって悪ければフォア・ザ・チームだから」の声が響くばかり。

 足早に引き揚げる清原に「あそこはサインか」と聞くと「サインが出たからやったんや」。その後は何を聞いても無言。〝バリア〟を張られた。

 一夜明けた18日も清原バントの衝撃は収まらなかった。東京のスポーツ紙は1面で、大阪でも中面で大きく紙面を割いて長嶋采配を批判、あるいは疑問を呈した。本紙も2面で「本紙評論家が長嶋采配を斬る 清原にバント〇か×か」と特集。ちなみに千葉茂さんと土井正三さんが「×」で、大下剛史さんは「〇」だった。

 普段は批判をスルーする長嶋監督だが、この時は違った。ロッカーの出口付近で一人で待っていると顔を見るなり、「本間君、いいか」と監督室に招き入れてくれた。

「昨日の清原のバントはチームへのショック療法ですか」と問うと、強い口調が返ってきた。

「選手にカツを入れたかったんです。ミーティングでどんなに厳しくいってもサッパリ効き目がない。これでは後半の厳しい戦いを勝ち抜けない。だからあえて清原にバントのサインを出したんです。打率3割で打点王ですよ、清原は。選手にもオレの厳しい姿勢、執念が伝わったはずですよ」

 続けて「松井にも(バントの)サインを出しますか」と聞いてみると「清原もやった。江藤や(高橋)由伸だってやっている。松井だけが例外じゃない。文句は言わせませんよ」と断言。

険しい表情の長嶋監督(2001年7月=神宮球場)
険しい表情の長嶋監督(2001年7月=神宮球場)

 最後は「批判は承知の上です。どうぞ(批判)してください。勝つために野球をやっているんだから、鬼にならなければいけない時もある」と力強い言葉で締めくくった。

 残念ながら巨人はV逸。長嶋監督はユニホームを脱いだ。清原はこの年、最後まで打点王を争い、29本塁打、121打点、打率2割9分8厘と巨人移籍後、自己最高の成績をマーク。シーズン後に4年契約を手にした。

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