【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(7)】1995年、大学4年生となった僕は東北福祉大のエースとして活躍。この年のドラフトの上位指名候補として名前が挙がるようになりました。

 そんなある日、僕は伊藤義博監督に呼ばれました。「お前、進路どうするんだ?」。もちろんプロ入り希望と即答です。すると伊藤監督は複数の球団から調査が来ていることを教えてくれました。当時のドラフトは大学、社会人選手については2位指名まで逆指名が可能でしたから、相思相愛の球団があればどこにでも入ることができます。

 僕は地元が埼玉だったので西武ライオンズに行きたいという気持ちもありましたし、いろいろな球団から話を聞いてみたいという思いもありました。そんな中で熱心に誘ってくれたのが東北福祉大OBの山本スカウトがいる中日でした。正直、自分の中で最初は中日に入るというイメージはありませんでした。でもいろいろと考えた末に「中日に行きます」と伊藤監督に伝え、逆指名でのドラフト2位入団が決まったのです。

 ドラフト当日は自分が指名されるとわかっていても緊張しました。「中日ドラゴンズ 門倉健 東北福祉大」と名前が読み上げられたときはうれしかったですね。高校3年のときはドラフト候補と騒がれながらどこからも指名されず、大学に入ってからも自分はプロに入るのは無理なんじゃないかと思ったこともありましたから感慨深いものがありました。

 ただこの年のドラフトはPL学園の福留孝介の話題一色でした。中日、巨人、ヤクルト、近鉄、日本ハム、ロッテ、オリックスの7球団が福留を1位指名。高校生としては85年の清原和博さんを超える最多競合数となったのです。

 僕は「福留も中日に来ればいいな」と思って見ていましたが近鉄の佐々木監督が交渉権を引き当て「ヨッシャー!」と絶叫。中日は外れ1位で東海大相模の原俊介捕手を狙いましたが、ここでも巨人が交渉権を引き当て、結局中日の1位指名は外れの外れで荒木雅博(熊本工)となりました。2位が僕で3位が藤井優志(大阪学院大)、4位が渡辺博幸さん(三菱自動車川崎)、5位が大塔正明(近大)、6位が益田大介(龍谷大)、7位が日笠雅人さん(新日鉄君津)というメンツです。

 ところが中日の星野監督は1位で狙っていた福留を獲得できなかったのがよほど悔しかったのでしょう。ドラフト終了後、マスコミの人たちから「今回のドラフトは100点満点で何点でしたか?」という質問にジョークではありますが「2点!」と答えたのです。
「俺たち全員で2点だぜ」「門倉は逆指名で入ったから1点で他の6人で1点か?」。後に僕たちは同期で集まると星野監督の「2点発言」をそんな形で笑い話にしていましたが、みんなひそかに発奮材料にもしていました。

 僕は中日にいた4年間で2桁勝利を2回記録しましたし、渡辺さんは04年にゴールデン・グラブ賞を獲得。他の選手もみんな一軍で活躍しました。そして何より荒木は2000安打を記録して名球会入りを果たす大選手になったのです。95年のドラフト組はドラゴンズの歴史の中でも大豊作の年だったと自負しています。