【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(13)】1996年、僕のプロ1年目のシーズンは後半戦から一軍に昇格して7勝3敗の成績でした。8月2日の巨人戦ではプロ初先発で初完封を記録することもできましたが、何より大きかったのは星野監督のもとでしびれるような優勝争いを経験できたことです。

 僕は高校も大学もとても厳しい監督のもとでプレーしてきましたが、星野監督はやはり別格でした。当時の中日では試合前でも相手チームの選手と言葉を交わすことは禁止です。これから戦う相手と仲良くやっていては勝つことなど難しいという星野監督の考えからでした。でもプロに入って最初に星野監督のもとで野球をやれたというのは自分の中ですごく良かったと思います。あの厳しい雰囲気を経験したらどんな場面になっても全然へっちゃらな気がしました。1点リードで迎える満塁のピンチよりも星野監督の隣にいる方がプレッシャーを感じましたからね(笑い)。

 プロ入り2年目にはこんなこともありました。5月29日の阪神戦(甲子園)に先発したのですが、2―1の6回に打球が右ヒザを直撃。あまりの痛さに僕は立ち上がることができず島野ヘッドコーチに抱きかかえられて降板。そのまま病院へと行きました。
 幸い骨に異常はなく、宿舎に戻ったのですが食事会場で待っていたのが鬼のような形相の星野監督でした。「お前、ヒザに打球が当たったくらいで勝ち投手の権利を逃していたらこの世界で食っていけないぞ!」。僕が降板した後、リリーフ陣が打たれて逆転負けを喫しただけにめちゃくちゃ怒られました。当時、阪神戦で利用していた芦屋の宿舎は肉がおいしいことで有名でしたが、星野監督と一緒に食べたこのときのしゃぶしゃぶは全く味がしなかったです。

 翌月19日の横浜戦(横浜)で先発した僕は再びアクシデントに見舞われます。第1打席で送りバントのサインが出たのでバントをしようとしたのですが、これが何と右ヒジへのデッドボール。あまりの激痛にバッターボックスで倒れ込みました。するとベンチから星野監督が出てきて「どうなんだ? いけるのか?」とドスのきいた声で聞いてきたのです。もちろん「痛くて無理です」なんて言えません。「いけます!」。即答でした。

 中日の攻撃のときはベンチで右ヒジをアイシングしながら必死で投げましたが、何とこの試合で横浜打線を1点に抑える完投勝利。「よく投げたな」。試合後、星野監督からかけてもらった言葉は今でもよく覚えています。

 星野監督にはプロ1年目から試合に臨む姿勢やプロとしての心構えなどを教えてもらいました。闘将や鉄拳制裁など“怖さ”をイメージするワードで語られることの多い星野監督ですが、選手のこともすごく考えてくれる人でした。1度や2度失敗したからといって二軍に落とされることはありません。中日の選手がプロで成功できるように気を配ってくれる監督でした。本当に怖かったですけど僕を含めみんな星野監督のもとで野球ができることに喜びを感じていたと思います。もし人生をやり直せたとしても僕はやっぱり星野監督のもとでプレーしたいと思いますね。