【門倉健 7球団奮投記~行けばわかるさ~(14)】プロ2年目の1997年、中日は本拠地をナゴヤドーム(バンテリンドーム)に移しました。ドーム球場ができるということで名古屋の街は大盛り上がりです。前年は巨人、広島と優勝争いしながら惜しくも2位に終わっただけにドーム元年Vを目指し、盛り上がっていました。

 ところがナゴヤ球場から広いナゴヤドームに移ったことで恐竜打線が持ち味だった中日の野球が機能しなくなったのです。前年は山崎武司さんが39本塁打でホームラン王に輝き、大豊さんが1本差の38本塁打を記録するなどリーグトップの179本塁打を記録していましたが、4・8メートルの高い外野フェンスに阻まれチーム本塁打は115本に激減しました。ドームの人工芝も当時はそれほど整っていなくてしっくりこず、ドラゴンズは開幕から低迷。次第にチーム内からは「ナゴヤ球場の方が良かったな」という声があがるようになりました。

 そんな中にあって、2年目もローテーションを任された僕は前半戦は好調でした。8月7日の広島戦(ナゴヤドーム)で9勝目を挙げ、2桁勝利目前。ところがそこから全く勝てなくなってしまったのです。10勝ということを意識しすぎたのかもしれません。8月13日の横浜戦から6連敗していつの間にか黒星が白星を上回ってしまいました。

 負ければ監督室に呼ばれて星野監督から配球や走者が出たときのピッチングについて厳しく注意されます。何とか勝ちたいと毎試合、必死に投げていましたが勝てません。それでもシーズン最終戦の横浜戦で何とか白星を挙げてようやく10勝に到達。この年は10勝12敗、防御率4・73という成績でした。2年目で初の2桁勝利を記録しましたが、9勝目を挙げてから2か月間勝てなかったこともあって自分としては全く納得できないシーズンとなりました。何かを変えないといけない。プロで生き残るためにはどうしたらいいのか。悩み始めた年だったですね。

 ナゴヤドーム元年ということでお客さんは連日、超満員。それなのになかなか勝てないので星野監督もつらかったと思います。今思えば、この年の星野監督は本当によく怒っていたような気がしますね。結局この年のドラゴンズは5年ぶりの最下位に終わりました。

 チーム内には前年優勝争いをしていたときのようないい意味でのピリピリ感はなく、最後まで沈滞ムードが漂っていました。ところがです。オフになってすぐの10月14日、僕をはじめドラゴンズの選手全員がピリッとするニュースが飛び込みます。「中日・大豊&矢野↔阪神・関川&久慈

 電撃トレード」。広いナゴヤドームでの野球に対応するため星野監督が大胆な血の入れ替えを行ったのです。