10月1日に死去したアントニオ猪木さん(享年79)の伝説を巡り、当事者間で〝ミステリー〟とされていることがある。当連載で何度も取り上げた新日本プロレスの「熊本旅館破壊事件」(1987年1月23日)の場に、当時ワールドプロレスリングの実況を務めた古舘伊知郎アナウンサーが「いたのか? いなかったのか?」だ。元猪木番記者が〝昭和〟の燃える闘魂を振り返る連載第18回では、その真相に迫る――。

 熊本旅館破壊事件を初めて公にしたのは当時実況を担当していた古舘伊知郎さんだ。「人志松本のすべらない話」(フジテレビ系)でのことだった。その後、古舘さん本人が「実はその場にいなかった」と告白したため、いたのか、いなかったのかという謎が新たに生じているらしい。

 しかし、私は鮮烈に記憶している。古舘さんは確かにあの場にいた。

 古舘さんの「すべらない話」をリアルタイムで私は見ていた。「えっ、あの話、してもいいの?」が私の第一声。公表してはいけない話と完全に心に封印していたからだ。そして次につぶやいたのは「そうかぁ、古舘さんもいたもんなぁ」だった。

 35年前に話を戻す。原稿を書き終え、宴会場の旅館に到着したのは、おそらく午後9時30分過ぎだろう。宴会場に入るとみんな揃っていて、私とD紙、N紙の日刊紙組が最後だった。すぐに猪木さんを探した。いた。発見。私が案内された卓の斜め左前方だ。距離は5~6メートルぐらい。そして猪木さんの右横に古舘さんが陣取っていた。テレビは録画中継だったので、試合が終わると同時に旅館に向かったのだろう。

 猪木さんと古舘さんの前には坂口征二と武藤敬司。ジャージー姿ではなく私服、そして猪木さんの隣に堂々と座れるのは古舘さんくらいしかいないので、見間違うはずがない。首を傾けて下から見上げるように話している姿は今もまぶたに刻まれている。

 その時に私が抱いた思いはこうだった。

「いいなぁ、古舘さん。ポールポジションだよ。うらやましいなぁ。俺も猪木さんの隣に行きたいなぁ」

 宴会が始まっても猪木さんと古舘さんの卓を見続けていたが、前田日明が武藤を殴り出したあたりから古舘さんの行方がわからなくなった。乱闘に気を取られたからだ。前田が泣きながら猪木さんにカラんでいったときには、もうその隣にはいなかった。

 当初は乱闘が始まったので早々に引き揚げたのではないかと思っていたが、最近になって階段で一緒になった記憶がうっすらとよみがえってきている。「帰るんですかぁ」と聞いたような…。タクシーを呼んで帰るところだったのか。だとしたら、前田たちがフルチンでタクシーに乗り込むのと同じ時刻だったのか。もう35年も前のこと、細かいところは定かでない。

 なにしろ、この旅館破壊事件自体、水俣ではなく人吉(同じ熊本県)だったと話していたレスラー・関係者も多かった。それぐらい人の記憶はいいかげんということだが、この事件に関しての私の記憶は自信がある。本人がどれだけ否定しても、私は「それでも古舘さんはあの宴会に出ていた」と声を大にして言い続ける。ほかの出席者が思い出してくれるまで。

(元プロレス担当・吉武保則)