1日に死去した〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)は、大のお酒好きとして知られていた。かの有名な新日本プロレス「熊本旅館破壊事件」(1987年1月)など昭和的なエピソードに事欠かないが、平成に入っても酒豪ぶりは変わらない。世間にはほとんど知られていない〝ワイキキ大暴走事件〟のてん末を、弟子の〝元暴走王〟小川直也氏(54)が証言する。
1997年4月。新日本プロレスは一大決戦に沸いていた。柔道のバルセロナ五輪銀メダルで世界選手権4度優勝の小川直也がプロに転向。東京ドームのデビュー戦で当時のIWGPヘビー級王者、〝破壊王〟橋本真也と一騎打ちするというのだから盛り上がらないわけがない。
小川は決戦に向け、師匠で現役レスラーだった猪木さんとともに、3月31日から米ハワイ・オアフ島のホノルルで最終合宿を敢行。指導者として初代タイガーマスク(佐山聡)、新日本の若手だった藤田和之も同行し、決戦への準備が整えられた。
合宿には多くの報道陣も同行し、猪木さんは終始ご機嫌。打ち上げ前日の4月5日にはマスコミを集めての懇親会が開かれたが、ハワイで〝大巨人〟アンドレ・ザ・ジャイアントと飲み明かしたエピソードなどを披露してご満悦の様子だった。
ここまではよかったのだが…。猪木さんは何を思ったか、「飲み比べだ!」と、参加者全員に赤ワインの早飲み勝負を挑み始めたのだ。次々にグラスを空けていって連戦連勝。一方で、猪木さんの真っ白なシャツはこぼれたワインで赤くなっていく。小川氏は「みんなで20人くらいいたから『せっかく来てもらったんだから、楽しんでもらわないと』と一気に20杯…。みんな酔っ払っていたけど、会長(猪木さん)が一番酔ってた…」。
完全に泥酔状態となった猪木さんは小川、初代タイガー、藤田、報道陣らを引き連れてワイキキの大通りをかっ歩し始めた。「猪木だ! 猪木だ!って日本人の観光客が寄ってきて、みんなに構わずビンタし始めて…。オレと佐山さんでビンタ待ちの列をつくると、今度は一般の人をヘッドロックしちゃうし。5メートル歩いたら、大イノキコールを浴びて『1、2、3、ダーッ!』ってやるから、普通ならホテルまで10分で帰れるところを2時間くらいかかったよ…」
さらには猪木さんは、オウムを観光客に持たせて商売にしていた地元の人を発見。「普通なら1ドルか2ドルでいいのに、酔っ払った会長は50ドル渡しちゃって…。もらったほうは大喜びで、オウム全部を会長の体に乗せちゃった。会長は会長で大喜びだったから、やっぱりすげーなと」
誰にも止められない猪木さんは「2次会やるぞ!」と参加者全員をホテルの自室に招集。その2次会では、参加者になぜか手加減なしで卍固めやコブラツイストをかけていき「グワーッ!」と悲鳴の連続…。もちろん最初の犠牲者は小川氏で「いやいや、これがマジで卍固め、痛いんだよ。会長は酔っ払ってるのに、全然手を抜いてくれないんだよ」と本物の〝マジ卍〟だったという。なお、後の闘魂継承者・藤田はなぜかベランダに隠れ続け、難を逃れている。
小川氏は「会長は『時にはピエロになんなきゃいけない』と言われていたし、プロレスラーとして何が大切か学んだよ。でも、やっぱり本当に猪木さんの下で学んだ3年間は楽しかったなあ」と急に遠い目となり、亡き師をしのんだ。












