【取材の裏側 現場ノート】プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)が10月1日に死去し、はや1か月がたった。
生前の軌跡を振り返ると改めて、その存在の大きさを感じるが、先日は私生活でも猪木さんを感じる出来事があった。小学6年の次男の運動会に行った時のこと。低学年によるダンスで、子供たちの入場時に猪木さんの往年の入場テーマ曲「炎のファイター」が流れたのだ。会場を見渡すと、40~50代の父親たちが明らかに反応している様子がうかがえた。
演技内容は「燃える闘魂」とは全く異なったが、ダンスに力強さを感じたのは確かだ。演技終了後、マイクを握った教師は「1、2、3、ダーッ!」と拳を突き上げた。
おそらく当の子供たちは何も分からなかっただろうし、単純に担当教師が〝猪木信者〟だっただけかもしれない。だが、アントニオ猪木という存在が身近に感じられたのは事実だ。
この「炎のファイター」ほど一般的に知られた曲はない。もともとは映画「アリ・ザ・グレーテスト」(1977年公開)の装入曲で、猪木さんが76年6月26日の異種格闘技戦で対戦したボクシング元世界ヘビー級王者モハメド・アリから贈呈されたものとして知られている。
猪木さんが最初に同曲を使用したのが77年8月2日に日本武道館で行われたザ・モンスターマン戦とされ、その後に「アリ・ボマイエ」のフレーズが「猪木・ボンバイエ」に変えられ曲調も大幅にアレンジされた。
全日本プロレスの音響を手がけ、入場曲の歴史に詳しい木原文人リングアナウンサーによると、日本のプロレス界で入場曲を流すようになったのは70年代になってからだという。もともと国際プロレスを放送する東京12チャンネル(現テレビ東京)が選手の入場に曲を流したのがはじまりとされ、新日本プロレスを放送するテレビ朝日と全日本を放映する日本テレビも追随した。
「テレビ局が選手に合う曲を番組のBGMとして使ったんですよ。あくまでテレビ局主導で、団体や選手個人が選んでというわけではなかった。だから、テレビ中継がある会場じゃないと流れないこともあった」(木原氏)
日本のプロレス界において、選手個人のテーマ曲のはしりとなったのが、〝仮面貴族〟ミル・マスカラスだという。77年ごろから「スカイ・ハイ」を入場曲として使用し、ジャンボ鶴田さんも「チャイニーズ・カンフー」を使うようになった。「スカイ・ハイ」「チャイニーズ・カンフー」、そして「炎のファイター」が、日本のプロレス界に選手個人の入場曲が定着するきっかけになったといえる。
ちなみに「炎のファイター」を使う前の猪木さんは「聖者の行進」などを使っていたそうだ。アリとの異種格闘技戦でも実は入場曲が流されており、猪木さんが「ワールドプロレスリング」のテーマ曲、アリがビリー・コブハムの「Light At The End Of The Tunnel」だったそうな。
昭和に生まれた名曲は、令和を生きる子供たちの前でも生き続けている。












