プロとアマの違いはあれど、同じ〝レスリング〟に携わる者として、日本レスリング協会の福田富昭名誉会長(80)は、10月1日に亡くなったアントニオ猪木さん(享年79)と深い縁があった。レスリング発展のため、有名選手を猪木さんのもとに送った福田氏が〝燃える闘魂〟の底知れぬ魅力を振り返った。

 福田会長の師でもある日本協会の八田一朗会長(当時・故人)は「レスリングが話題になれば、プロでもアマでも構わない」という考えの持ち主。「八田会長は全日本プロレスのジャイアント馬場さんと親しく、支援していた。それなら、と私は新日本プロレスと関係を築きました」と師に習い、猪木さんのいる新日本側と友好関係を築いた。福田氏は猪木さん初の異種格闘技戦の相手となった1972年ミュンヘン五輪柔道2冠の〝赤鬼〟ことウィリエム・ルスカの友人で、試合ではルスカの代理人も務めた。

「猪木さんは当時、絶賛売り出し中の有名人。格闘技への興味は相当なもので、研究熱心でした。体づくりに神経を使っていて、ルスカ戦よりもずいぶん前ですが『アマレスの合宿に参加してみては?』と声をかけると『いいですね。いきます!』と即答し、参加していました。なかなかやる気のある人だな、と感じたことを覚えています」

 その後もプロと積極的に交流を進め、80年には日大レスリング部の後輩・谷津嘉章を新日本に紹介した。「重量級は引退後に会社員をやっても、食費で給料が尽きるどころか、まったく足りない。だったらプロレスラーになるのがいいと思ったのです。猪木さんは喜んで引き受けてくれました。でも、まさかデビュー戦であんなことになるとは」

 谷津は五輪戦士の肩書を引っ提げ81年6月、新日本マットに立った。猪木さんとタッグを組み、なんとアブドーラ・ザ・ブッチャー、スタン・ハンセンという強大すぎる敵と対戦することになった。福田氏は日大レスリング部の部員全員を引き連れ、会場で観戦。部旗を持って声援を送っていると、味方のはずの猪木さんがいきなり谷津にバチンと張り手。血気盛んに敵に向かっていった谷津は、徹底的に制裁され流血沙汰になった。

 猪木さんらが浴びせた容赦なしのプロの洗礼に「これは大変な世界に谷津を入れてしまった。プロレスとは恐ろしい世界だと思いましたよ」と青ざめたという。

 その後も多くのアマレス戦士がプロ入り。福田氏はプロとアマの懸け橋として、そして格闘技界の発展のために、時に猪木さんと共闘した。「ルスカのころから、対談やいろいろな場面でご一緒させていただきました。猪木さんは心の中が読みにくい、深い人。本当は何を考えているのか聞き出すのが難しかったと思う。本当の姿を知る人は多くなかったのではないかな」と福田氏。〝戦友〟との別れを惜しんだ。