【越智正典 ネット裏】1986年、評論家星野仙一は仕事の間に監督上田利治の阪急を見に行った。「阪急の勢いを学ぶんだあー」。勢いの源は明るさと特訓と感得した。

 ドラの監督就任は決定的だったが、中日のCとドラのDが組み合わせのマークの帽子に怒っていた。

「どうして中日が広島の下なんだ!」

 夏、第68回高校野球全国大会が始まると、甲子園へ。明治大の先輩に頼んで別室で見せて貰った。「享栄の近藤真一(左腕)のカーブは巨人は絶対に打てない。ドラ1だ」。巨人戦がもう始まっていた。

 星野の春日井電話局(民営化前)での講演を友人が聴きに来たことがある。終ると、じゃあさよなら…。案外淋しがり屋の星野が、どこへ行くんだと訊くと、友人は同じ春日井だから愛工大名電へ、凄い右打者を見に行くんだ。当たると、右中間のネットを越え庄内川にぶち込むんだ。すると星野は電話局の送りのハイヤーを断り、友人のタクシーに乗り込んだ。その選手は追試でいなかった。が、星野は監督中村豪に「ドラ1はダメですが2位で下さい」。山崎武司である。中村が所用で中座した。友人が呆れて、見てないのに獲るのか、大丈夫か。すると、星野は「セにはいい左投手が揃ってる。左攻略用だ」。

 その秋、星野はパが閉幕すると西武の管理部長根本陸夫を訪れ、深々と頭を下げ、二軍監督岡田英津也を貰いに行った。

 87年、監督第一年の星野は沖縄にキャンプイン。2月9日、星野は二軍選手の父母に手紙を出した。

「拝啓、(略)ドラゴンズは日本一の決意と日本一の猛練習で日本一をめざしてキャンプインしました。(略)このたび、ご子息を二軍といたしましたが、これは近い将来、中日の、いや日本の基幹選手として、大きく強く、逞しく育てるためです。幸い二軍監督兼寮長、岡田英津也は高校、大学、社会人、プロ野球二軍監督、スカウトと豊富な体験を持ち、他のスタッフも十二球団随一の選手作りの名人揃いと確信しています。どうかご心配なさらぬよう機会がありましたら力強く激励して下さい。(略)敬具、星野仙一」

 マネジャー福田功(楽天副会長付)が恩納村郵便局に持参し出状した。

 2月14日、裏方さんと選手たちは、コーチ兼監督付早川実(楽天副会長付)から部屋に星野からのバレンタインデーのチョコレートが届けられたのに仰天した。カードに「ありがとう 星野仙一」。星野40歳。先乗りスコアラー豊永隆盛(八代一高、投手、66年入団)は「感激しました。沖縄みやげに女房に渡したら“星野さんのために頑張ってね”と激励してくれました」。

 こうして6月3日、ドジャースのオーナー、ピーター・オマリーと中日のオーナー、加藤巳一郎の間に88年の中日のベロビーチキャンプが決まり、同時発表になった。チームは湧き立った。 =敬称略=(スポーツジャーナリスト)