【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(19)】 星野監督就任2年目(1988年)の中日は開幕からなかなか波に乗れなかった。4月は5勝11敗で首位・広島から8ゲーム差の最下位。5月以降何とか盛り返していったが、7月はじめ大洋(現DeNA)に3連敗すると続く北海道での巨人戦では原辰徳(現巨人監督)に一発を浴びるなど3タテをくらって6連敗。当然ながら星野監督は怒り爆発で北海道から名古屋に帰ると、俺たちはナゴヤ球場に直行。クソ暑い中、滝のような汗を流しながら、アメリカンノックの嵐を浴びるはめになってしまった。

 だけど、これで吹っ切れたのかな。ホームのヤクルト戦で連敗を止めるとドラゴンズはそこから怒涛の白星ラッシュで7月末には巨人を抜いて首位に立った。8月には劇的勝利が続き、9月終了時点では2位・広島に8ゲーム差と独走した。

 そして迎えた10月7日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)。勝てば優勝という大一番では初回に落合さんの3ランが飛び出すなど序盤からヤクルトを圧倒した。11―3と大量リードの9回表、途中からライトを守っていた俺は高鳴る鼓動を抑えながらその時を待っていた。マウンド上には守護神・郭源治。最後の打者・秦を空振り三振に仕留めてドラゴンズは6年ぶりのV。ナゴヤ球場には紙吹雪や紙テープが舞い、大歓声の中、星野監督の胴上げが始まった。

 胴上げに加わろうと、俺はライトからダイヤモンドに向かって走っていったけど、マウンド付近はあっという間にものすごい人だかりになっていた。優勝が決まった瞬間、スタンドからお客さんがネットを越えてどんどん乱入。グラウンドは収拾がつかない状態になってしまったのだ。

 胴上げが終わると、星野監督もコーチも落合さんも立浪もファンにもみくちゃにされている。みんなすぐにベンチ裏に避難した。見ると(捕手の)大石さんのユニホームは血で真っ赤になっていた。金網を越えてグラウンドに乱入した際に手をケガをしたお客さんに背中をバンバン叩かれていたらしい。グラウンドになだれ込んだ際に負傷したファンの数は15人。もちろん予定されていた優勝監督インタビューは中止になった。ベンチ裏で星野監督は「警備員は何をやっとるんじゃああ!」とブチ切れていたけどそれも当然だろう。プロ野球の歴史の中でも優勝が決まった直後にあんなに怒っていた監督はおそらくあの時の星野監督が初めてじゃないかな。

 俺たちはバスに乗って名古屋市内のホテルに移動したが、本来なら優勝した後に行われるはずのビールかけは行われず、軽く乾杯しただけだった。この年は優勝パレードもなし。昭和天皇の病状が思わしくなく日本中が自粛ムードで祝賀的なイベントはすべて中止となってしまった。それでもやっぱりリーグ優勝したのはうれしかった。日本シリーズの相手は西武。「日本一になる!」とみんな燃えていた。だが西武の4番が放った強烈な一撃が俺たちの夢を木っ端みじんに吹き飛ばすことになる。

 ☆とよだ・せいすけ 1956年4月23日生まれ。東京都出身。日大三高では右翼手として74年春の選抜大会に出場。明治大学では77年の東京六大学春のリーグ戦で法政のエース・江川から8打数7安打と打ちまくり首位打者を獲得。「江川キラー」と呼ばれるようになる。78年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。内外野をこなせるバイプレーヤーとして活躍し82、88年のリーグ優勝に貢献した。88年に現役を引退後はコーチ、スカウト、昇竜館館長を務め2014年に退団。現在、名古屋市内で居酒屋「おちょうしもん」を経営している。