【豊田誠佑 おちょうしもん奮闘記(9)】1981年11月、俺は高校2年から付き合っていた彼女と結婚式を挙げた。プロ入り3年目のこの年は114試合に出場して打率2割9分2厘。サードのレギュラーをほぼつかみかけただけに、ここで身を固めてさらなる飛躍につなげようと思っていた。
仲人は大学の先輩でもある星野仙一さんご夫妻にお願いした。星野さんと初めて会ったのは新人時代の合同自主トレだった。同じ明治大ということで「頑張れよ」と声を掛けてもらった。ドラゴンズのエースだった星野さんはとにかく面倒見のいい人で後輩からも慕われていた。投手と野手ということで普段はそれほど接点はなかったがオフになるとパーティーや地元の行事に連れていってもらったりした。
星野さんにとっても俺たちの結婚式が初めての仲人だった。式場の手配や招待客のセレクトなどでも協力してくれたんだけど、とにかく星野さんの顔の広さには驚かされた。「この人に招待状を送っておくように」と言われて見てみると各界の著名人がズラリと並んでいる。披露宴を行ったのは東京・新宿の京王プラザホテル。星野さんと交流が深いということで芸能界からは梓みちよさんや小田和正さんまで来てくれた。もちろん俺はそんなすごい人たちとはそれまで会ったことなどない。だけど梓さんは「こんにちは赤ちゃん」まで歌ってくれたんだ。これには俺たち夫婦も両家の親族もみんな感激したね。
立食形式で行われた披露宴には600人もの方々が出席してくれた。披露宴の費用を差し引いても車が1台買えるぐらいのご祝儀が集まった。本当に星野さんのパワーはすごかったね。
12月に選手会のハワイ旅行があったのでそれが俺たちの新婚旅行になった。当時、放送されていたプロ野球ニュース(フジテレビ系)も取材に来ていてダイヤモンドヘッドをバックに妻と2人でインタビューを受けたんだ。「扶養家族も増えましたからね。来季は頑張りますよ」。そう答えたのを覚えている。女房のためにもドラゴンズの不動のレギュラーになる。俺はメラメラと燃えていた。ところが…。
「中日がブルージェイズのケン・モッカ獲得へ」。ハワイから帰って少ししたころ、スポーツ新聞にこんな見出しが躍った。「目下(モッカ)検討中じゃないんですか?」。俺は球団の渉外担当にそんな冗談を飛ばしたが事実だった。モッカのポジションはサードだから当然ながら俺の出番はない。それでも俺はもともとは外野手だ。当時の中日はレフトの大島康徳さん、ライトの田尾安志さんは決まっていたがセンターのポジションは空いていた。キャンプではセンターのレギュラーを取るために必死に練習したし、自信もあった。だが3月のオープン戦で悪夢のような出来事が俺を待っていた――。
☆とよだ・せいすけ 1956年4月23日生まれ。東京都出身。日大三高では右翼手として74年春の選抜大会に出場。明治大学では77年の東京六大学春のリーグ戦で法政のエース・江川から8打数7安打と打ちまくり首位打者を獲得。「江川キラー」と呼ばれるようになる。78年オフにドラフト外で中日ドラゴンズに入団。内外野をこなせるバイプレーヤーとして活躍し82、88年のリーグ優勝に貢献した。88年に現役を引退後はコーチ、スカウト、昇竜館館長を務め2014年に退団。現在、名古屋市内で居酒屋「おちょうしもん」を経営している。












