【原巨人の終幕(中)】解任された原沢前GMの後釜に指名されたのは、読売新聞本社で当時運動部長を務めていた堤辰佳氏だった。同氏は慶大野球部で主将を務め、通算9年にわたって球団に出向。編成業務にも通じていた。
その電撃人事発表から2日後の5月13日の広島戦後、渡辺恒雄球団最高顧問(読売新聞グループ本社会長・主筆)が東京ドームで口を開き、人事断行の意図を説明した。
「大体、基本的に巨人軍の弱かったのがね、GMと監督(の役割)が区別できなかったことだ。そのために補強、いろんな面でバカなことを随分やってきた。
(これまでは)監督の人気だけに頼ってきたんじゃないか。これからは、それ(GM、監督の役割)2つを分けて、戦力の強化と、その日その日の試合のリード(采配)と、持ち分を分けてやれば、もともと強かった巨人軍が、もっと強くなるだろう」
当時、一部では原沢氏は、あのフランシスコ獲得の責任を追及されたともささやかれたが、事実は違う。“ドン”の言葉は、原監督という巨大な存在に頼りきりの球団構造を一刀両断にし、その一方で「主導権を現場からフロントに取り戻せ」という強い意志を示したものだった。
とはいえ、球団改革の命を受けた堤GMが、かつての清武氏のように原監督と正面から衝突することはなかった。指揮官とは、最後まで良好な関係のまま。それでも「慶大野球部出身」の自分が、再び球団に送り込まれた“理由”を、うすうす感じ取っていたのではないか。
また原監督は、もっと敏感に自身を取り巻く状況の変化を感じ取っていたに違いない。これまでは、球団幹部を通さずとも下りてきたドラフトの情報や来季の補強リストなど、チーム編成に関わる話が自分の元までなかなか届かない。2年契約の2年目。百戦錬磨のベテラン指揮官なら、それが何を意味するか、すべて理解していたはずだ。
そして、ペナントレース最終盤の9月26日。首位ヤクルトを東京ドームで迎え撃つその日、某スポーツ紙の1面に「原監督、V逸なら解任も」というセンセーショナルな見出しが躍った――。(続く)
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