大船渡・国保監督“佐々木温存”の裏に米独立リーグでの体験

2019年07月26日 12時11分

佐々木(左)を“温存”した国保監督(右)

 チームの絶対エース、佐々木朗希投手(3年)を岩手大会決勝で“温存”するという決断が賛否を呼んでいる大船渡・国保陽平監督(32)の決断の原点は、大卒後の23歳で参加した米独立リーグでの体験があったからのようだ。

 2―12で花巻東に敗れた決勝戦後、国保監督は「投げられる状態ではあったかもしれないが私が判断した。理由は故障を防ぐため。もちろん本人に『投げなさい』と言えば投げたと思うんですけど(連投によるダメージ、気温等を考えれば)この3年間の中で一番壊れる可能性が高いのかなと思った。私にはその決断はできませんでした」とエースの登板回避に至る過程を語った。

 この判断を生徒との話し合いではなく独断で決めた理由を「そこは生徒たちには重大な決断。とても大きな、一生心に残るような決断。そこは僕が引き受けようと思いました」とも語った。

 国保監督は会見の中である元メジャーリーガーとの対戦経験を口にした。大学を卒業して2年後の2010年に米アリゾナでサマーリーグに参加した経験を持つ同監督は、所属していた独立リーグ、ティファナ・シマロンズで、かつてカブスでプレーしていたマーク・プライアー投手(当時オレンジカウンティ・フライヤーズ)と対戦したという。

 同監督は「後から調べたらカブス時代、オールスターにも出ていたピッチャーだった。現役の最後の方だと思うんですけど、素晴らしい球を素晴らしいフォームから投げていた。割と若々しい時に(故障の影響で)このステージにいるのかと思った。ピッチャーの才能というのは何とかしなければと思いました」と当時を回想し、現在につながる指導者としての原点に触れた。

 マーク・プライアー。将来を嘱望された2001年のMLBドラフト1巡目(全体2位)でカブスに入団した新星右腕は、その卓越した制球力でメジャー2年目の03年に18勝6敗、防御率2・43の飛躍を遂げサイ・ヤング賞投票3位の得票を集めたが、その後は度重なるケガとの戦いでその年をピークにわずか5シーズンでメジャーの舞台から姿を消した。

 佐々木をそんなプライアーに重ね合わせた国保監督。日本球界の宝となりえる若い才能を自分が潰すわけにはいかない。2年半、指導してきたからこそ見て取れた佐々木の何らかの危険シグナル。「私にはその決断はできませんでした」という言葉の重さの裏にはこんな実体験が隠されてもいた。