バハマではリトルリーグが唯一の野球で、2週間に1度は地元のテレビ局が取材に来て、試合を中継したり、新しい選手らを紹介したりするらしい。「その頃からインタビューを受けるのが好きだったのを覚えてる。確か10歳頃の映像が叔父のフェイスブックにあったはずなんだけどな」と携帯電話で探し始めるジャズ・チザム。

 距離感が南国…と言っても伝わらないかもしれないが、肩の力が見た目に分かるくらい抜けている。大家族出身で叔父だけでも12人いるらしい。「自分の妹は4人、叔父12人、叔母7人、それぞれ4人くらいは子供がいて、そのいとこたち皆、子供がいるから…」。質問に対して一つも二つもちょっと〝余分な情報〟を加えて返してくれるものだから、聞きたいことが一向に止まらない。

 60代でもソフトボールの遊撃手として活躍していた祖母パトリシアさんのプレーを見て、3歳で野球に恋をした少年は、12歳で母国を離れ、カンザス州ウィチタ郊外のキリスト教系寄宿学校に転入。そこは海とは無縁の果てしなく平原が広がる中西部で、本人いわく「近所で唯一の黒人の子供と思うほど」の環境だった。そんな中でも、いつも自然と人の輪の中心にいた。

「一度のタレントショーで、3つくらい違うグループから頼まれて4回出演したこともある」

 毎年、町内の人も招いて行われた学校のタレントショーでは特に人気者だった。

「パフォーマンスが大好きだったから、マイケル・ジャクソンとか、ラップも歌ったよ。その代わり、僕のムーン・ウォークはいくら練習してもヒドかったけどね。ヘタでも楽しかったから、それでいいんだ」

「楽しむこと」がパトリシアさんの最大の教えだ。ジャズの言葉を整理していくと「パフォーマンスが大好きな野球選手」であることがよく分かる。とてもシンプルなように思えるが「球界の麦わらのルフィ」が今の場所にたどり着くまでの航海は波風だらけだった。

 例えば、塁に滑り込むたびに、うれしそうに舌をペロッと出すおなじみのしぐさ。マイナー時代、先輩たちから散々ダメ出しを食らい、一時は盗塁することをやめてしまった。

チザムがマーリンズ時代に使用した「オレオ」のロゴ入りスパイク(ロイター)
チザムがマーリンズ時代に使用した「オレオ」のロゴ入りスパイク(ロイター)

 アイスクリームのワッフルコーン、オレオクッキー、アニメなどさまざまなモチーフでカスタムデザインされ、常に目を引くジャズのスパイク。ファッションやアート好きの彼が野球をしながら自己表現の一つとして大切にしているものだ。メジャーの新人時代には、そのスパイクを切り刻まれ、中に牛乳を流し込まれたこともあったという。

 ジャズの「一生懸命やる」は「楽しむ」が原点。ただ、ジャズが「楽しむ」ほど「目立つ」。何せ根っからのエンターテイナーなのだ。祖母から教わった通りに野球をしているだけなのに否定される。ジャズは自分を守るバリアーを張るように、より派手になっていったそうだが、チームから孤立しているのは誰の目にも明らかだった。

 ジャズにとって転機となったのが、2024年のニューヨーク移籍。マーリンズが〝ジャズがジャズらしくいられる場所〟を探したという説もある。

 そのオフ「ザ・プレイヤーズ・トリビューン」に寄稿されたジャズの漫画がある。

「僕の祖母は喜びを持って野球をすることを教えてくれた。僕はその野球しか知らない。僕の情熱が大リーグまで導いてくれたけど、キャリアの最初の頃、僕の喜びは訪れては去っていった。でも、ピンストライプを着て再び喜びを見つけることができた。ここでプレーすることの意味、ヤンキースの一員である重みも僕は知っている。だからこそ、自分らしさを失わず、人一倍努力を続ければ、大きなことが待っていると思う。自分は自分なりのニューヨークのレジェンドになりたいんだ。祖母からもらった野球への愛を胸に抱いて」

 ☆ジャズ・チザム 1998年2月1日生まれ、バハマ出身。2015年にアマチュアFAでダイヤモンドバックスと契約。マーリンズ時代の20年9月にメジャーデビュー。24年7月にトレードでヤンキースに移籍。25年には31本塁打、31盗塁で自身初の「30―30」を達成。今季は棒つきのアメをくわえながら守備に就くなど、奔放な言動で話題に上る〝お騒がせ男〟の一面もある。180センチ、83キロ。