ドジャース・大谷翔平投手(31)が15日(日本時間16日)、古巣エンゼルスとのフリーウェイシリーズ第1戦に「1番・DH」で3試合ぶりに復帰した。投打の両方を10月のポストシーズンまでこなすための負担軽減策でもあるが、〝リアル二刀流〟はいかにして生まれたのか。今後も含めて古巣の同僚たちが口を開いた。

 大谷が〝リアル二刀流〟を本格的に始めたのは2021年のエンゼルス時代だった。当時はまだメジャー3年目。「登板日は打たない」「登板前後は休養」が一般的だったが、その常識を覆して同年のMVPを獲得した。

「印象的だったのは、とにかくヘルシーだったこと。翔平が健康なら何でもできるって春の時点で感じていた。実際、本人の中でも〝両方できる〟と体が理解した瞬間から、本当の意味で二刀流として走りだした感じだったね」

 そう振り返ったのは、当時ルーキーで現在はエンゼルス先発陣の柱の1人に成長した左腕リード・デトマーズ投手(26)だった。大谷は18年シーズン終了後に右ヒジのトミー・ジョン手術を受け、翌19年は打者専念。20年もコロナ禍の短縮シーズンで故障に苦しんだ。そんな停滞期を経て迎えた21年、大谷自身の中ではすでに大きな変化が起きていた。

 当時、バッテリーを組み、現在はエンゼルスの首脳陣となっているマックス・スタッシ捕手コーチ(35)は「前年オフ、翔平は本当にハードに土台づくりをしていたんだ」と明かし、こう続けた。

「二刀流として、このレベルで成功するために自分が毎日何をやるべきかを徹底的に整理していた。リカバリー方法もそうだし、スイング量もかなり減らしていた。でも、ただ減らすんじゃなく、〝良くなるために必要なこと〟と〝うまくいっていることを維持すること〟に集中していたんだ。20年から21年にかけて、一番大きかったのはメンタル面の変化だったと思う」

 その変化に気づいていた1人が、21年に新GMとして就任したペリー・ミナシアン氏だった。

「日本でプレーしている頃から、打つ姿も投げる姿も見てきた。〝両方できる〟って感じていたんだよ」。スカウト時代から大谷を追いかけてきた同氏は、スプリングトレーニング初日に〝リアル二刀流〟を提案した。

「彼は本当にコンディションが良かった。同じ試合で両方できると思ったし、フィジカル的にもメンタル的にも対応できると感じていた。本人も自分ならできると分かっていたんじゃないかな」

 当時の指揮官が、型破りな采配で知られるジョー・マドン監督だったことも大きかった。登板日に打席に立つだけでなく、登板前後の休養日すら固定せず、大谷の状態を確認しながら柔軟に調整。そこから歴史を塗り替えるシーズンが始まった。

「投げる日にも打つようになった時、彼はまるで別人みたいだった」。そう語ったのは、元メジャーの投手で長年、エンゼルス戦の解説を務めるマーク・グビザ氏だ。

「最初の頃は登板日は打てず、登板前後も休みで週3日くらいしか打席に立てなかった。でも、その制限がなくなってから、彼の中で何かが解放されたように見えた。まるでサナギから蝶になったみたいだったね」

 グビザ氏は大谷の特異性をこう分析する。

「彼は自分の意思で勝利を実現できると本気で信じているタイプなんだ。実際、翔平は1人で試合を勝たせてきた。投手なら、たとえ完封しても味方が点を取らなければ勝てない。でも、彼は自分でホームランを打てるし、二塁打を打って、盗塁して生還することもできる。投球だけじゃなく、自分のバットでも試合を背負えるんだよ」

 そこには〝自由〟を手にした大谷の姿があった。「『俺は何でもできる』っていう雰囲気があった。そして実際に何でもやってきたよね」。今は敵として対峙する立場となったエンゼルス関係者たちも、最後は口をそろえた。

「翔平なら、心配しなくてもまたすぐ打ち始めるよ。ただ…できればこの3連戦の後にしてほしいけどね」