2007年10月8日の両国大会でIWGPヘビー級王座を奪回した翌日に結婚していたこと、2人の子供がいることを公表しました。
G1とIWGPを取ってから「発表したい」とずっと思っていたんですが、一夜明け会見が一転して謝罪会見に…。「もう一つご報告がありまして、結婚してました。すみません」って。謝る必要はないんですけど。子供が大きくなってきたこともあったのと、トップに立ったことでケジメをつけたかったんです。
この年の11月11日両国大会で、後藤(洋央紀)とのV1戦は新日本プロレスが復活ののろしを上げた試合だと思っていて印象に残ってます。観客動員は厳しくて、実数で2200人くらいだったと聞いているんですが、それを感じさせない大歓声だったんです。後藤とは相性が良くて、彼が遅咲きになってしまった原因をつくってしまったのが俺なのかなと思ったりもします。それだけに今年45歳で、IWGP世界ヘビー王座を取って「大器超晩成」なのを証明してくれたのはうれしかったですね。
08年1月4日の東京ドーム大会では、中邑(真輔)に敗れてベルトを失いました。大舞台で、なかなか中邑に勝てなかったイメージがありますね。初対決の05年東京ドーム大会で激突した時のような初々しさはなく、お互いに成熟した姿を見せられた試合だったなと思います。
中邑とはこの年の3月30日後楽園大会でもIWGPをかけて戦って敗れています。「NEW JAPAN CUP」を優勝して挑戦権をつかんだんですが、東京ドームのメインでやったカードを3か月後に後楽園で実現するというね…。この頃の新日本はとにかく後楽園を満員にして、その熱がいろいろな媒体を通して伝わって、団体の盛り上がりにつながればいいなという時期でした。そのために棚橋VS中邑という団体としての切り札的なカードを切るしかないくらい苦しい時期だったんでしょうが、今振り返ると、これは大英断だったと思っています。
08年は全日本プロレスにも参戦したことも印象深いですね。キッカケとしては3月1日両国大会で武藤(敬司)さんと組んで川田(利明)さん、太陽ケア選手とタッグマッチで戦ったんです。試合に勝って武藤さんとアピールを張り合った記憶があります。敵地ということもあってベビーフェースにブーイングが飛んで武藤さんに「おい、プロレス壊すなよ」って言われて。あれはズシンときましたね(苦笑)。
そして、この大会の最後に武藤選手に呼び込まれて「チャンピオン・カーニバル」に参戦することになるんですが、これは自分のキャリアの中でも「出世シリーズ」になったと自負しています。













