【平成球界裏面史 近鉄編122】平成22年(2010年)、近鉄が消滅してから6年が経過した時、大西宏明はベイスターズの一員となっていた。だが、出場機会を減らしていきそのシーズンのオフに戦力外通告を受けた。11月10日に行われたトライアウトでは4安打と気を吐き、ソフトバンクから育成契約のオファーを受けた。

育成選手として入団した甲斐(2010年12月)
育成選手として入団した甲斐(2010年12月)

 平成16年(04年)に球界再編がなければ近鉄のレギュラーとして活躍していたのかもしれない。ただ、合併球団のオリックスの一員になっても「レギュラーにはなれんかったでしょ。それが実力なんですよ」と話す。まだ、若手選手だったためオリックスのプロテクトに残れたとはいえ、大西も球界再編で運命を変えられた野球人の1人だ。

 平成23年(11年)からはソフトバンクの育成選手としてプレー。同年から三軍制を初採用したホークスで、大西は若手選手と一緒に汗を流した。三軍は四国独立リーグとの試合などはバスで移動した。プロ野球選手がプレーする球場とは思えない環境でのプレーも経験した。

 この年のホークスの新人には後にトリプルスリーを達成する柳田悠岐が加入。育成枠では後にメッツに移籍する千賀滉大、侍ジャパン代表にもなる甲斐拓也もいた。荒削りでまだまだプロの選手には届かない存在にも思えたが、一芸に秀でた原石たちがそこにはいた。

支配下登録された千賀(2012年4月)
支配下登録された千賀(2012年4月)

 ソフトバンクホークスという球団の育成方針を目の当たりにし、大西自身も驚きを隠せなかった。大西のホークス在籍はわずか1年に終わった。この時点で野球を離れ第二の人生へ切り替える決心をしていた。

 平成23年(11年)オフ、ソフトバンクから戦力外通告を受けると現役引退を決意。「球界に残る気はなかったですね。飲食店をやろうと決めていた。どこからも現役、コーチのオファーがなかったからではなくて、最初からやりたいと思っていた飲食に挑戦しました」と球界に未練はなかった。

 引退から直後の平成24年(12年)の4月には大阪・東心斎橋に焼き肉店『笑ぎゅう』をオープン。いわゆる大阪ミナミの中心地にドカンと店をオープンした。「飲食は甘くないですからね。今思えば、ようやったなと思います」と話していたが、令和7年(25年)の現在に至っては創業13年の老舗となった。

 その傍で現在は関西独立リーグの堺シュライクスの監督を務める。令和6年(24年)まで就任以来6年間で4度の優勝と指導者としても結果を出している。リーグ戦開催中、同世代の松坂大輔氏が始球式を行ったこともあった。大西はこのセレモニーで打者としてガチ対決し左飛に倒れた。

「あんなスターに来てもらって、僕は幸せもんです」

 大西の野球人生を示すような言葉だった。

大西のソフトバンク在籍は1年だった
大西のソフトバンク在籍は1年だった