【平成球界裏面史 近鉄編100】建設当時は日本一の高層ビルとして完成し、令和6年(2024年)で全面開業10周年となった「あべのハルカス」。近鉄百貨店本店をはじめ、オフィスやホテルなどが入る巨大複合施設は大阪のシンボルとして君臨している。

 今や日本人の利用者だけでなくインバウンド需要も急上昇。1日平均およそ10万人が訪れる人気スポットに成長している。ただ、物事には光と影があることは世の常。「あべのハルカス」の華やかさの裏では、昔ながらのたたずまいを残した街も残っている。

 近鉄・大阪阿部野橋駅の南側、大手レンタルビデオ店のかいわいには、今でも個性的で安価な飲食店が点在する。この辺り、来日直後のタフィ・ローズが歩き回っていた地域だ。オフィスで仕事を終えた婦人に気軽に声を掛け、ローズはなじみの店で飲食を楽しんだ。

 平成8年(1996年)に「あべのハルカス」はもちろん存在しなかった。当時、同じ近鉄系列のNPB球団・近鉄バファローズは健在だった。というよりはローズの活躍と反比例するように、近鉄球団の財政状況は悪化し衰退の一途をたどっていた。そしてついに平成16年(2004年)にはオリックスとの合併で近鉄球団は消滅。その未来を誰も予想しなかったことだろう。

梨田昌孝監督と足高球団代表(2004年10月)
梨田昌孝監督と足高球団代表(2004年10月)

 近鉄球団の消滅から10年後、平成26年(2014年)に「あべのハルカス」が全面開業。近鉄球団が消滅したことにより、近鉄本社を含めたグループ企業全体の業績がV字回復し、阿倍野の街が発展したのかどうかは分からない。その年の年末には「あべのハルカス」のホテルで近鉄最後の球団代表、足高圭亮氏や最後の監督・梨田昌孝氏と当時の担当記者らによる会食が行われた。

 足高氏がよく口にしていた「あの時、ホンマに何とかならんかったんかいなあ」という言葉。阿倍野の街の発展や近鉄グループの象徴的なランドマーク「あべのハルカス」のきらびやかさを見るほど、参加者らは近鉄バファローズの存続が可能だったのはないかと昔話に花を咲かせた。58階から60階にある展望エリアからは京セラドーム大阪が小さく見えていた。

 来日直後のローズは大阪の生活を楽しむとともに、NPBプレーヤーのレベルの高さにも感心していた。チームメートとなった近鉄の中心打者、中村紀洋と出会った頃はまだ23歳。その頃から才能に目を付けており「将来はメジャーでプレーできる。イージーだ」と話していた。

左からオリックスのイチロー、西武の松井稼頭央と松坂大輔
左からオリックスのイチロー、西武の松井稼頭央と松坂大輔

 当時のパ・リーグには若き才能がひしめき合っていた。オリックス・イチローや近鉄・中村、西武・松坂大輔、松井稼頭央らに関してもメジャーで通用すると太鼓判を押していた。「みんなメジャーで活躍できるよ。ただ、日本のFAが長過ぎるね。(当時のルールで)10年もたったらみんなオジサン。でも、いつか時代が来る。もっと日本人がメジャーで活躍できる道は開ける」とも話していた。

 ローズが近鉄バファローズと大阪の街とともに過ごしてきた平成の時代。近鉄球団は消滅してしまったが、そこから20年後の野球の世界は確実に変わっている。ドジャースの大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希らは20代半ばでMLBに移籍し新たな歴史を刻んでいる。

MLBで新たな歴史を築いている大谷翔平(2025年4月)
MLBで新たな歴史を築いている大谷翔平(2025年4月)