【平成球界裏面史 近鉄編92】平成17年(2005年)、タフィ・ローズが近鉄から移籍して2年目の巨人は開幕4連敗を喫していた。メジャーでの実績があったダン・ミセリを補強し、守護神に据えるも大失敗。超強力打線を擁しながら、バランスに欠ける野球を展開し、最下位争いを演じる状態だった。

巨人大失速の要因となったミセリ(2005年4月)
巨人大失速の要因となったミセリ(2005年4月)

 巨人大失速の要因となっていたミセリは、開幕から1か月も経過していない4月19日に解雇。最後に東京ドームを訪れた際には関係者らと握手を交わし、その足で家族とともに浅草観光に興じた。人力車に乗る姿などが写真週刊誌に掲載され、チームの雰囲気がいいはずもなかった。

 その1週間後、4月26日のヤクルト戦(ヤフードーム)で事件が勃発した。同点で迎えた9回表、ヤクルトのアレックス・ラミレスが左中間方向に打球を放つも、左翼手のローズは全力で追わず勝ち越し点を許してしまった。これを担当コーチにとがめられると、ベンチ内でつかみ合いの大口論を展開した。

超危険!ローズと清原和博が一触即発(2005年4月)
超危険!ローズと清原和博が一触即発(2005年4月)

 結局、試合にも敗れてチームは5連敗。ドームから選手宿舎へ向かう通路で取材を受けたローズは、担当通訳の静止を振り切って暴言を吐いた。

「どんどん(記事に)書いて」と取材陣を煽ると「負けたのは俺のせいだと言われた。日本でのプレーは10年目だけど、全くリスペクトがない。ピッチャーが打たれるのも俺のせいなんか? ジャイアンツ下手くそ。ジャイアンツ大嫌い。東京に帰る」と公然と球団批判を展開した。

 この騒動は当時、各スポーツ紙で大きな見出しの記事となった。当然、球団から200万円もの罰金も食らった。タラレバの話はないのだが、近鉄時代のローズなら仲間やスタッフになだめられれば、こんな発言はしなかっただろうと想像できる。

 ローズはチームが低迷する中、故障していた右肩の治療のため8月に帰国。チームを離脱してから一度も一軍に帰ってくることはなかった。ローズの他にも清原和博、高橋由伸も故障離脱するなど巨人にとっては大誤算。チーム防御率はリーグワーストの4・80とあって5位がやっとという状況だった。

 チームは球団史上ワーストの80敗を喫し、8年ぶりのBクラス転落。この結果に堀内監督が契約期間を1年残して辞任し、コーチ陣も大量に退任する事態に陥った。

 平成17年のローズの成績は101試合に出場して打率2割4分、27本塁打、70打点。あれだけ欠場してこの数字は大したものだが、巨人がローズを残留させる理由はなかった。

堀内監督の退任会見(2005年10月)
堀内監督の退任会見(2005年10月)

 日本球界で最も目立つ巨人で大暴れしたとなれば、NPBで獲得に乗り出す球団などあるはずもなかった。平成18年(06年)に米国へ帰り、メジャー復帰を目指す道を選んだ。オフにホームタウンのシンシナティに本拠地を置くレッズとマイナー契約。地元で現役最後をという考えもあったが、思惑通りにはいかなかった。

 招待選手としてスプリングトレーニングに参加したが、オープン戦に入ると12試合で27打数6安打の結果に。マイナー降格を通達されると3月21日に現役引退を表明した。が、ローズの野球人生はこれで終わらなかった。