【平成球界裏面史 松坂大輔家族編2】松坂大輔氏の父・諭さんは気さくな人物であることには前回コラムで触れた。そうすればさらにその父、つまり大輔氏の祖父にあたる徳次さんがとんでもない逸材だったことを記さないわけにはいかない。
連日連夜の報道合戦で平成11年(1999年)のルーキーイヤーにはすでに、松坂大輔ネタは枯渇状態。横浜高時代の活躍から西武入団、新人王、シドニー五輪出場、沢村賞など次々と活躍し紙面を賑わせ続けてくれたが、日々のネタ探しは大変だった。
そんなころ、話題を提供していただいたのが冒頭の祖父・徳次さんだ。戦時中、日本軍に所属し、手榴弾投げで記録を持っていたという猛者。取材をしてみると樺太(現サハリン)の野砲隊に所属していた際、従来の55メートルの遠投記録を63メートルに更新したということだった。
野球のボールの重さには141・7~148・8グラムという規定がある。手榴弾に関してはどの兵器かは特定できないが、当時の資料によると重量約300グラムとのこと。硬球のほぼ倍の重さの鉄の塊を60メートル以上投げるとは、剛腕の隔世遺伝が起こったと思って間違いないだろう。
徳次さんは戦後、地元の北海道・稚内に戻り漁師としてコンブやタコを獲っていたそうだ。若かりし日は丸太のような腕の持ち主だったという。記者も実際に会い、ごあいさつをさせていただいたが、指の節々が太く分厚い手をしていたことを覚えている。
大輔氏がプロ入りした際には登板を観戦できるようにと、稚内の徳次さん宅にテレビを贈呈した。地上波で西武戦が視聴可能なわけもなく、しっかり衛星放送受信システムの設置まで行ったはずだ。
プロ入り後も大輔氏は北海道の遠征となると時間を見つけては稚内まで祖父母に会いに行っていた。01年に徳次さんが81歳で他界した際には棺に18番のユニホームを着せて見送った。それから後も残された祖母・みさ子さんに会いに大輔氏は可能な限り何度も稚内の地を訪れたという。
家族といえば母・由美子さんもユニークな方だ。弟・恭平さん(元独立リーグ愛媛内野手)のツイッターからの情報ではあるが、ほのぼのとした家族の風景が想像できる。
22年末のころの投稿だ。
母親が「年末ジャンボ当たらないかなぁ」って言っていたので、私は言いました。
「すでに当たったようなもんなんだから、2回も3回も当たるわけねぇじゃん」と。
そういう内容だった。07年にポスティングシステムでの入札金、年俸と合わせ約100億円でボストン・レッドソックスに移籍していった大輔氏。全額、本人の懐に入るわけではないが16年後の現在でも夢のような数字であることは変わりない。
そして、親の立場からすれば平成の怪物を息子に持つことは年末ジャンボに複数回当選することに匹敵するのか…。そこに次男がSNSでツッコミを入れてくるとは…何とも平和だ。大きなお世話だが、有名人の家族にありがちな金銭トラブルなど松坂家には無縁なのだろう。

















